には思える。その証拠を、もうすこし、作品自体から引き出してこよう。
 この中の夫は、最初から、極端に言えば第一ページ目から、将来伸子との夫婦仲がうまく行きそうにも無い「必然性」を背負わされて登場する。実にたまったものでは無いのである。つまり、後半に至って伸子をジャステファイするための用意が第一ページ目からしてあるのだ。このカンジョウ高い「計画性」は、先ずブルジョア以外のものでは無い。しかも、そのような男を好きになった――すくなくとも、それと、いったんは結婚する程度には好きになった伸子がその選択と愛情においてバカでもなければ、まちがってもいなかったと思われる程度の――思われるに必要にして充分なる程度以上でもなければ以下でも無い好もしさを持った男として押し出されている。つまり、伸子がどっちに転んだとしても、非難されるのは伸子でなくてすむように、二重三重に布陣してあるのだ。それらが、恐ろしく手のこんだ近代リアリズム小説作法的「必然性」の定跡で武装してある。つまり、伸子(したがって深い所で作者)は、絶対不可侵に神聖に守られているのである。実に用意周到だ。この種の用意周到さはブルジョア的気質に一
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