らしい筆つきでもって書きながら、自分は小じんまりとした「文化住宅」に小ぎれいに住んでパアマネントをかけた奥さんとの間に一年置きに生んだ子供にパパなどと言わせ、外に出れば文士仲間と酒を飲みながら「文壇」の噂さをして酔っぱらった果ては、ヘドは吐いても、チャンと終電車には間に合うように帰って来ると言った(――いや、これはタトエだ。特定の誰かの事を言っているのでは無い。誤解無きよう)生活をしている作家――その他これに似た等々――を、私は、見たくない。つまり、ニヒルにも耐え得ない作家は、私には要らぬ。なんとなれば、ニヒルに耐え得ない奴は、ニヒルの反対のものにも耐え得ないからだ。と言うのは、われわれは、結局肯定したいから否定するのだからである。強く、ゆるぎなき、徹した、大きな肯定を持ちたいからこそ、弱く、グラグラする、疑わしいちっぽけなものを否定し否定し否定しつくすのだからである。

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 このままで行けば、これら戦後派の人々の大部分が間も無く、その左がわにいる人たちはナロウドニキ風にゾロゾロと左翼に流れこんで行くであろうし、その右がわにいる人たちは自然主義風な正宗白鳥式な「
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