にかく意味の有る、しかも時によってはなかなか大変に意味のある文章を、そして大概の場合に、小説らしい恰好をそなえたものを、かくもたくさんに、かくも続けざまに書くという仕事を、この人たちは、やってのけているのだ。ただの人間に出来ることでは無い。まして、一カ月に原稿紙五十枚書くのが最高で、普通平均三十枚がヤット、しかもそれだけを書くためにフラフラになったり、時によるとのめってしまって、二、三カ月間一枚も書けなくなったりして、いつも、自分の大きらいな貧乏から追いかけられて悲鳴ばかりあげている、しかもその書いたものが、この人たちの作品よりも格別にすぐれているという保証はどこにも無いところの私などが、これをトヤカク言う資格は無いらしい。言えば、それこそ嫉妬から来た中傷という事になりそうだ。実際、正直に感心し驚嘆しているのである。
 ただ、それにしても、疑問は有る。

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 先ず、この人たちの「自我」が、どんな具合に処理されているのだろう?
 一体、この人たちの手法は、「世相」を「眺め」て「おもしろおかしく」「早く描く」と言うことで一貫している。その点で、新聞紙の社会面の雑報記
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