まらず、未完成に終る。そしては、デッサンやクロッキイに舞いもどってくる。そのデッサンやクロッキイを見ていると、この男が本腰をすえてタブロウを描いたら、どんな良い画ができるだろうと思わせる。しかし、タブロウにかかると、うまく行かない。そういうことをくりかえしていた。そのうちに、デッサンばかり描く絵かきになってしまった。つまり彼の可能性はズット先きにあり、そしてそれが、常に、そして永久にズット先きに置いておかれているかぎり、可能性であり得た。つまりデッサンやクロッキイを描いてさえおれば彼は或る種の画家であり、かつ画家としての自尊心は保たれ得るのであった。同時に彼の絵画理論は彼が到達しただけの高さと完全さを破壊される恐れなく、安全に温存され得るのであった。それはそれでよかった。ところが、そういうことを永く続けている間に、この男は、自分ではまったく意図しないで、また自身気づかないで、抜きがたいポーズに侵されてしまった。それが、ただのポーズではない。その男本来の姿と区別することの困難なようなポーズ、ラッキョウの皮をはいでもはいでも同じような皮が出て来て、どこまで行ってもラッキョウくさいと言った式
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