の、自然主義時代からの文学界のうつり変りを見て来た老兵たちがあります。宇野浩二などもその一人でしょう。みんな、ネレた眼を持っています。言うところも懇篤です。見当はずれなことはしない。前に書いた着実さが、この人たちだけには備わっております。壮大な空言を弄しない。自身の小主観を振りまわさない。それと言うのが、この人たちは、文学芸術を心から好いているためです。惚れていると言ってもよい。青野や宇野はもちろんの事ですが、正宗など文学などつまらんというような事を度々言いますが、それは此の人の習慣であるにすぎないので、どうしてつまらんどころですか。そんなにつまらなく思える事を四、五十年間変りなくつづけておれる道理がない。アイソづかしを並べるのは「彼」の歌であるにすぎません。
ただ此の人たちの批評に、火はない。パトスはない。年数を経てよくネレたミソが、うまくはなったが、臭味も塩気も取れてしまったように、刺戟も指南力も失われてしまったのです。この人たちの批評をいくら読んでも私たちは、どうしてよいかサッパリわかりません。右にも左にも踏み出せません。視力は散大するだけです。それはちょうど人生というものを深
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