も無理がないと言えますけれど、実はそのようなデタラメな作品を叩きつぶし追い出してしまうためにも、批評家が丹念に読む必要があるわけです。それは批評家は多くの読者大衆の選手として読み、かつ、批評する者です。天才またはキチガイが中空に向って歌を歌うのとは、ちがうと思うのです。客観的に実在するものについてものを言う仕事です。しかも、批評家が今の日本に五十人いるとすれば、日本の全人口数を五十で割った――たとえば五万人とかの人間が、自分のうしろに控えている、それだけの人間が自分の肩の上に乗っている、それだけの人間がこれこれの事を言ってもらいたがっている、それだけの人間の文化的イノチをあづかっているという意識でもって自ら重しとする所に立たなければなりません。これまた、社会的パトスであります。それが有れば、たとえ作家が作家たらずとも、批評家が作品をもっと丹念に読むぐらいの事は出来ようではありませんか。
 読みかたが粗雑だと、それについての批評も粗雑にならざるを得ません。アテズッポになるわけです。そして、それを蔽うために、批評は大言壮語になってしまう。今の日本の批評界ほど大言壮語に満ちた所はないでしょう
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