れた力に相応しないのです。つまり「あわない」のです。ある作家の作品を五、六冊十五日間かかって再読三読した上で、それに対する批評文を五日かかって三枚書くといった式が私のやりかたですが、どうです「あわない」でしょう? もっと卑近な、つまり原稿料の点でも「ペイ」しないことは、言うまでもありません。これは特に頭が悪いのと遅筆のための、私だけの事かもしれません。ですけど、頭が悪かったり遅筆であるのが、全体、私のセイですか? 私のセイではありません。(小さい声で――いや、こいつは、やっぱり俺自身のセイかな?)
とにかく、かねていろいろの愚行を演じ馴れている私にとっても、批評文を書くという仕事は、まれに見る愚行であります。こんな事などしていないで私は戯曲か小説を書いている方がズッとよいのです。私の戯曲や小説などは、まだ甚だ至らないものではありますが、それでも、私の書く批評文にくらべれば百倍の上等です。だのに、そのエッセイ書きをまだつづけようとしています。ぜんたい私というものの料簡はどういうのでしょうか。
私にもそれは、よくわかりません。ただ、ワケはあります。その一つは次ぎの事です。
私が「群像
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