知れない。そんなものが有ったら、ヘドの中をかき捜し拾いあげて、食います。今のぼくらの身分では、きたないなどとは言ってはおれません。つまり、こうなんです。ぼくらは、この十年二十年を虫のせいや、カンのせいで生きて来たのではない。それぞれ、セイいっぱいにやって来たのです。その中に、取りかえしのつかない、否定的な事がらが、どんなに充満していたとしても――事実充満していましたが――それを否定するあまり、また、すべての否定に附きものであるところの感傷的、英雄主義に酔って、この十年二十年の内容の全部――つまり、ぼくらにとって肯定的な事がらをも含んでいる実体――と言うよりも、ぼくらの十年二十年のイノチそのものを、全部的に否定し去るほど、私は淡白ではないのです。すべての人も、それほど淡白でないほうがよいのです。ホッテントットにとって存在しているような意味では『奇蹟』は、ぼくらには存在していません。もし、これから先き、ぼくらが進歩し得るものならば、ぼくらの過去十年二十年および現在の中に、なにかの形でその進歩の種か芽かモメントかバネかが存在していない筈はないでしょう。また、もし、ぼくらが世界人としての場を要
前へ 次へ
全274ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング