は無いかもしれません)、言う事とする事がそれほどちがってもいませんし、外でミニクイように内でもミニクイ(イクォール=内が美しい位には外も美しい)人間なので私は自分を大体において信用しています。しかし、その私も、もう少し厳密にしらべて見ると、五、六年前=戦争中=かなりイカガワシイ事をしました。また、言葉ではキレイそうな事を言って、行為ではキタナイ事をしないとは言えない。また、外が立派なほど内は立派でない事もあります。残念ながらそうなのです。ですから、キマリが悪くて、半年や一年や四年位の間に、急に、あまり立派な壮大な言葉で大ミエが切れないのです。その代りまた、五年十年以前の自分の全部を、或る人たちがしているように盛大な言葉で否定することも出来ません。その両方をしている人を見ると、ですから、私は「そんなアホダラキョウがあるけえ」と言いたくなり、こっけいになり、そして時に虫のいどころが悪いと、そんな人をインチキさんと呼びたくなるのです。そう言う私も、もしかすると客観的に或る程度までインチキさんかもしれませんが、主観的にまで――つまり自分で自分のことをインチキさんと思わなければならんのは、あまり
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