」だけはやれるところの勇敢なる女優や、日本人も西洋人も同じ人間なのだから、しょせんは人間に「普遍妥当」な口のきき方と動作をすればそれが演技だとイミジクも思いこんで実はかつて自分の見た西洋物の時代映画中の俳優の猿マネをしたり、それにカブキ調を「加味」したり、六尺フンドシの上にじかにエンビ服のズボンをはいたり、相手役のダームの手をいただいてセップンした手で手バナをかんだりするところの壮烈な男優などに事を欠かないとあれば、鬼に金棒だ。
だいたい現在の新劇のアカゲ物の演出や演技のシステムや細部は、小山内薫などの築地小劇場運動時代あたりを[#「築地小劇場運動時代あたりを」は底本では「築地小劇場運動時代あれりを」]出発点として発生して来たものであるが、そして、その小山内薫などの演出や演技のプロトタイプ(原型)は何かと言えば、主としてアチラで見て来た舞台の記録や記憶や、買いこんで来たおびただしい数の舞台写真をつなぎ合せて、西洋人らしい動作やスタイルをマネるというやりかたであった。つまり物マネのシステムであり細部であった。小山内には、そうせざるを得ない必要もあったし、必然も無くは無かった。ところが、
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