な」と思い、心の中で帽子をぬぎ、そして、当時の国内の状勢の中では或る意味では当然であるとも言えた左翼に対する抑圧を、しかしこのようなバカゲた、このような乱暴な形でおこなっている当局に対して、二重三重の怒りを感じたことを、おぼえている。その時の敬意と怒りとは非常に強かったために、その文章の中にさえも私がカギつけたところの例の宮本の[#ここから横組み]“high brow”[#ここで横組み終わり]さえも、さしあたりは気にならなかった程であった。そして太平洋戦争になり、敗戦になり、やがて彼女は自由に、猛烈な勢いで発言しはじめ、作品を発表しだした。好評の渦が彼女を取り巻いたように見うけられた。私も、彼女の書きものの数篇を読んでみた。それらは、いずれも、ある程度までリッパなものであった。しかし、それまでの宮本百合子観を変えてしまわなければならぬようなものでは無かった。だから、敗戦後、とくに宮本が好評になった理由が、よくのみこめなかった。しかも、この事の中に、「左翼の勢力がもりかえしてきたから、そのスポークスマンの一人の宮本がヤイヤイ言われるのさ」といったふうの俗論――それに九分の真実があったとしても――だけに満足してはおれない問題がふくまれているように私に思われた。それを究明してみることは、他の誰によりも、私自身にとって必要なような気がした。だから、あらためて私は、私の手に入るかぎりの宮本の著作を集めて、その処女作以来の作品や論文を読み返してみた。
その結果、「やっぱり、この人は、えらい。日本に、よくも、これだけの女が育った」と思った。同時に、「しかし、おれは、この人を好かぬ。この人の中には、どこかヘンテコな所がある。だから、自分だけでなく、人もこの人を、きらうのがホントウだ」と思った。つまり、はじめからの宮本観を、私は非常にハッキリした形で再確認したのである。そして、イヤナ気分になった。自分がハッキリと分裂したからだ。つまり、尊敬せざるを得ないものを、愛することができないと言う状態になっている自分に気がついたからだ。こんな事は私において珍しい現象である。なぜなら、私は、他のいろいろのおもしろく無い性質を持っていることにかけては、人後に落ちない人間であるが、この手の分裂症状だけは、ほとんど持っていない。と言うよりも、この手の分裂症状には耐えきれない性格を持っている、と言った方が当っている。だから、自分でも困った。分裂のギャップを埋め、統一しないことには、ガマンができなかった。ばかりで無く、私自身の中の論理のためにも、これはジャマになった。だから、いろいろとやって見た。そして、分裂は埋まり、統一された。その経過のあらましを、次ぎに書きつけるわけである。
2
まず、彼女の書いたものを再三再四くりかえして読み、考え捜しながら、私自身の中をほじくり返し洗いあげた結果、次ぎのことが私にわかった。
宮本百合子が、唯単にブルジョア出身であるだけでなく、現に高度にブルジョア気質の人であるという事、そしてその点が他のどのような事よりも私の気に入らなかった理由であったことである。
――待ちたまえ。こう言うと、この言葉だけで、宮本の悪口を私が言っているのだと早合点をする習慣がある。とくに、今の日本の季節はそのような習慣の盛んになっているコッケイな季節の一つであるようだ。すなわち「ブルジョア」だとか「ブルジョア的」の語を、「豚!」だとか「カサッカキ!」といったふうの形容詞として受け取って、腹を立てさせたりする習慣だ。しかし私は、あまりそういう習慣を持っていない。だから、きわめて冷静な客観的な語としてこれを使っている。念のため――。
で、宮本のブルジョア気質は、たいへん根深く、かつ、たいへん明確なものである。作家をトクチョウづけるものは、常にあらゆる場合に、他のどのようなもの――たとえば政治的イデオロギイなど――よりも、その気質にある。宮本の場合もそうだ。それは、かなり徹底的に、一貫してブルジョア気質である。同時に、実はそれが彼女の背骨(バックボーン)になっている――つまり作家としての彼女を或る程度まですぐれたものになしている主なる支柱が、他ならぬそのブルジョア気質である。という、おもしろい関係になっている。
と言うことは、文芸作品について多少「読みの深い」人なら、たいがい、うすうすながら気が付いている事だ。そういう証拠があちこちにある。だから、宮本の作品を一つでも二つでもマトモに読んだ人なら、私がこう言っただけで、「なるほど、そうだわい」と思ってくれる筈である。しかし、これも念のため、彼女のブルジョア気質を証明していると私の思う例を、たった一つだけあげておく。『伸子』という小説がある。そこには、作者自身とおぼしい伸子という一
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