まらず、未完成に終る。そしては、デッサンやクロッキイに舞いもどってくる。そのデッサンやクロッキイを見ていると、この男が本腰をすえてタブロウを描いたら、どんな良い画ができるだろうと思わせる。しかし、タブロウにかかると、うまく行かない。そういうことをくりかえしていた。そのうちに、デッサンばかり描く絵かきになってしまった。つまり彼の可能性はズット先きにあり、そしてそれが、常に、そして永久にズット先きに置いておかれているかぎり、可能性であり得た。つまりデッサンやクロッキイを描いてさえおれば彼は或る種の画家であり、かつ画家としての自尊心は保たれ得るのであった。同時に彼の絵画理論は彼が到達しただけの高さと完全さを破壊される恐れなく、安全に温存され得るのであった。それはそれでよかった。ところが、そういうことを永く続けている間に、この男は、自分ではまったく意図しないで、また自身気づかないで、抜きがたいポーズに侵されてしまった。それが、ただのポーズではない。その男本来の姿と区別することの困難なようなポーズ、ラッキョウの皮をはいでもはいでも同じような皮が出て来て、どこまで行ってもラッキョウくさいと言った式のものになってしまった。つまり、ポーズが骨がらみになってしまった。そして遂に彼はホントの画家――タブロウに全身をかける者――にはなれないでしまった。しかも、まるきり絵をやめるわけにも行かないので、時々絵のようなものを描き、あとは画論をしたり、後進を指導したり、絵について警句を吐きちらしたり――一言に言っておそろしくキザな人間になってしまった。
 これに中野がすこし似ていると思う。彼の文学理論は或る高さにまで鍛えられたものだ。しかし作品というものは理論だけではできない。すくなくとも理論だけをそのままに放って置いただけではできない。当人のフルのところで、トップのところで、自身の持っている一切合財を対象にぶち当てて行くのでなければ作品はできにくい。そして、とにもかくにも、自分の全部をあげて対象にぶち当てて行くところにポーズは生まれて来ない。醜くかったり美しかったりはしても、キザにはならない。一所懸命な態度からポーズやキザが生まれることはない。中野は自分の全部で小説にぶちあたることをしない。または、できない。彼はいつでも断片を作る。「断片」は或る程度までうまい。しかし「小説」にはなかなか取りつかない。小説はズット先きにあり、そしてそれがズット先きに置かれてあるかぎり、可能性であり得る。つまり彼は断片を書いてさえおれば或る種の小説家なのである。重要な点は、そうしてさえおれば、彼は彼の達している理論的高さや完全さを、ゆすぶり立てないで過ごして行けるということだ。これを彼が全部意識的に――ズルく計算した上でやっているとは私には思えない。計算してやっている部分もあるが、大部分は無意識に、または追いつめられた形で、しょうことなしにやっているのではないかと思う。いずれにしろ、そういうことを久しく続けている間に、当然のこととして、ポーズに深く侵されてしまった。そして今となっては、中野がいてその上にポーズがくっついてしまったのか、シンから底までそのポーズに見えるものが中野の正体なのか、ちっとやそっとでは見分けがつかないくらいになってしまった。それが良いことか悪いことか私にはわからない。しかし、それがそうであるかぎり、中野がホントの小説家――小説に自身の全部をかける者――になり得ることはないように思う。そして、そのような小説家や小説は私にすべてキザに見える。小学生が大学生のマネをするのはキザであるが、大学生が小学生のマネをするのはさらにキザに、二重にキザに見えるし、そして前のキザはわりに治りやすいが、後のキザは容易に治らない。中野の小説は、その後のキザに私に見える。
 実例を一つだけあげる。「よごれた汽車」の中で「女は五十すぎの年配で、上等でない商売をしていた人のような黒い顔をしていた」と言う句がある。「上等でない商売」というのはインバイかインバイ屋のことではないかと思われる。もしそうなら、なぜそう書かないのだろう? 下品になるからか? いや、そうは思えない。それとも、ただ「低級な」または「あまり儲からない」等の意味だろうか? それなら、これまた、なぜそう書かないのだろう? 小説家なら、「ような」と書いても、その想像力の中で何かのイメージや連想を持っただろうし、持つはずだし、そして持ったのであれば、こんな「手前のところで気取った」表現をとる必要はない。いや、だから、これは表現ではないのだ。表現とは、「あえて、踏み込んで、決定する」ことだからである。
 これだけではない。あちらにもこちらにも、この種の表出がある。他の二篇の中にもたくさんある。しかも、これが文章だけのことでは
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