生まれた。「これを最後として」絶望することができたのだ。残りなく自我の全部を絶望の中に叩きこむことができた。それだけに、また、なにものかに自我の全部をあげて叩きこむことのできた人間に、必ず、或る種の救いがあるように、救いはあった。
ところが第二次大戦は、人類にとって二度目の経験である。そして心理的必然は「二度ある事は三度ある」という感じを生み出さざるを得ない。実にイヤな感じであり、そして、これが事実とならぬようにわれわれは、どんな努力でもしなければならないのであるが、それはそれとして、かかる感じを、さしあたり、われわれが払いのけ得ないでいる事実も見おとしてはならない。したがって、戦争からの惨害の点では第一次大戦のそれにくらべれば問題にならぬほどひどかったにもかかわらず、また、それは前よりもひどい愚かな自殺未遂行為であったと感じられているにもかかわらず、意識の底では、更にひどいものが更にくりかえされ、と言うことは何度でもくりかえされるだろうと感じられていることを否定できない。それだけに打撃は「終末的」な形をとらない。断絶は起きない。前途が、ボンヤリながら、見える。崖に立って、全身心をワク乱と絶滅感にゆだねる事ができない。戦争を、特にアブノルマルな事件として見ることができない。或る意味でそれはノルマルな状態だと思わなければ耐えきれない。言わば、第二次大戦の中で、そして後で、その中にわれわれは、セレニティ(静けさ)を見たのだ。見なければ、耐えきれなかったのだ。耐えるためには、それを見なければならなかったのだ。それだけに、自我の全部をそれに叩きこむことはできなかった。できない。したがって、自我の全部をそれに叩きこむ事のできた人間に起きるような救いは、われわれに起きなかったし起きない。そこから生まれて来たニヒルも、表現主義やダダイズムのような瀉血的な形をとり得ない。もちろん、この方がズッと苦しい。ニヒルは骨がらみになって来るのだ。それに耐えて行かなければならぬ。
第一次大戦の戦後派には、将来へのパースペクティヴは無かった。無くても、すんだ。全身心でキリキリまいをして動テンする事によって、余念なくその大戦から受けたキズを治療すればよかった。第二次大戦後のわれわれには、今後へのパースペクティヴがある。そしてそれは、われわれが「死なんばかり」にして通って来たものよりも大がかりな
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