ら、抱いているから、こんなふうに見るのでは無いという事だけは私は確信をもって言えるんです。むしろ逆だと自分では思っています。即ち、私はたいへん微力ながら三十年近く私なりの芸術を生み出す仕事を勉強して来ました。その結果、こう考えざるを得なくなったのです。つまり私の芸術への努力が、結果として、政治およびイデオロギイと芸術および芸術家の関係について以上のように考えざるを得なくさせたのですよ。だから、私としては、自己の気質や性格などを別にすれば、芸術自体の本質の中に現実的政治およびイデオロギイとは差し当り反撥したり離反したりする必然性があるのだと思わざるを得ないわけです。そして前にも言ったように、実はそれ故にこそ、芸術は政治やイデオロギイを批判したり矯正したり鼓舞したりするエネルギイを自己の内に保持することが出来るのだ。だからこそ、芸術は短い期間の政治にとってはマイナスとして作用することがあっても、長い期間にわたってのもっと大きな意味での政治(=人間が集団をなして生活して行くためのメトーデの全部と言うことと同義に理解される政治)に対しては他のものがなし得ないような独特の貴重な奉仕をすることが出来るのだと思うのです。
A しかし政治は常に生ける今日のものですよ。そして将来の政治も今日の政治から切断されて、それと無縁のものとしては在り得ません。それが在り得るように空想して、それに対して奉仕するのだと言う美辞麗句に酔うことによって、現に今あなたがその中に生きている現実政治の可能な進歩を引きもどそうとあなたはしている。すくなくとも、現実政治をサボって、うっちゃりっぱなしにして置こうとしている。それは一言に言って保守的反動的ですよ。
B そら、出た!
A なんですか?
B いえ、今にあなたがそう言うだろうと思っていたのです。そうです。もしそれがそうならば、私は保守反動でしょう。しかし私はそうは思いませんね。むしろ芸術が政治的であるためのホントのありかたは、私のような考え方からしか出て来ません。だから現実政治の可能な進歩を引きもどそうとしているのでもサボッてうっちゃりっぱなしにして置こうとしているのでも無いと思います。もちろん、その時々の一党や一派にとっては、そうなるかも知れませんがね。そして、あなたは共産党員だから、あなたにとっては、そういう事になるでしょう。しかし私は共産党員ではあ
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