の集会に出ては、同志達に向って「悔い改め」をすすめたり、代々木の共産党本部の中に教会を建てることを主張したりして、牧師としてキリスト教の集会に出ては、信者たちにひざまづいてインターナショナルを合唱するように命じたりするようになるでしょう。もっとも、すべての状態がゆるやかな間は、マルクシスト達もキリスト信者達も赤岩さんの熱心さや誠実さに免じて、微笑しながらそれを許して置くでしょう。しかし状勢がキンチョウして来れば、許しては置かないでしょう[#「置かないでしょう」は底本では「置かないでしよう」]。なぜなら、それは本質的に敵同士の関係ですから。すくなくとも、その双方が互いに相手方を敵だと思っている関係ですから。それは、ちょうど、ふだんの時ならヒステリイ患者が発作を起して大騒ぎをしているのを、たいがいの人が許して置けますが、ひとたび火事騒ぎになれば、しかた無く、その患者をうっちゃって置くか、踏んづけて消火活動をしなければならなくなるのと同じです。赤岩さんという方は、どちらかといえば善い方のようですから、イザという時にあんまりひどい目に逢わしたく無いものですねえ。もっとも、すべてのヒステリイ患者にとって、発作を起すのは、結局は彼の「幸福」の一つです。ヒステリイはエギジビジョナリズム(露出症)の一種ですから。赤岩さんも、かなり強いエギジビジョナリズムを持っていられるようですから、発作を起すのが彼の幸福である限り、やめられないであろうし、やめなくともよろしいでしょう。しかし、世の中が火事騒ぎのようになり、マルクシズムとクリスチャニズムとの関係が或る程度以上にキンチョウした中で、良い気になって発作を起して卒倒したりなさると、そこには必ずしもジュータンは敷いて無い、もしかすると頭を叩き割るような角石がころがっているかもしれないという事は、知っていられる方がよいと思いますね。世の中の火事騒ぎが今後起きない見通しよりも起きる見通しの方が多いのですから尚更です。
A そうすると、あなたの考えでは、赤岩さんはどうすればよいと思いますか?
B それを聞くのですか? ザンコクだなあ。では、たいへんセンエツですけど私の考えを言います。先ず、落ちつかれるとよいと思います。それには、ご自分のオシャベリを先ずやめられることです。ヒステリイ患者というものは、自分のオシャベリで自分が昂奮するものですから。ま
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