なる文筆家ないしは座談会出席者になりおえました。そして、むやみとオシャベリばかりしております。そのオシャベリも、ヒステリイ患者の発揚時における状態に非常に似ています。赤岩さんが文筆家や座談会出席者になる代りに、だまって、どこかの労働者町のセッツルメントか、「アカハタ」発送係りになってコツコツ働いていたら、われわれは別の見方をすることが出来たでしょう[#「出来たでしょう」は底本では「出来たでしよう」]。つまり、ヒステリイだと見た見方を修正しなければならなくなったでしょう。その点、残念でした。次ぎに、すこし虫が良すぎると思います。そこの所もヒステリックです。なぜなら、マルクシズムにとっては、宗教は「アヘンなり」です。宗教者にとってはマルクシズムは「毒薬なり」です。もちろん、アヘンとは別の猛毒らしい。その二つの、種類のちがった毒薬を、「赤岩栄」という一本のビイカアの中に一緒に入れて、かきまわしたり、ゆすぶったりして、何か有用な薬品を作り出そうとしているのです。無理な相談ではないでしょうか。それに、大体、「神」と言う、うらやましいものを持っていて、(彼がホントに神を持っているかどうかも、私には疑わしく思われる。しかし彼自身持っていると言っているから、しばらくそれを信じておきましょう)赤岩さんは、何が不足なのですか? 「神」では社会革命が出来ない、いいかえれば大多数の人間が「神」だけでは幸福にはなれないからですか? そんなことはないでしょう。キリストさんは、社会改革を禁じていません。むしろ、それをすすめ実行しています。場合によって「共産主義的」な位に。だから、赤岩さんもキリストと共にそれをやって見たらよいではありませんか。それをしないで、いきなり、その神やキリストの公然たる敵対物であるマルクシズムを採り上げるのは、どういうのでしょう? それは、結核患者が自分のタンの中に結核キンが絶えないのにジレて、コールタールを飲んでしまうような事です。かわいそうに! 同情します。しかし同時に、それは、あまりに虫の良過ぎる愚かさだと思います。そんなバカな事をしていると、人は死ぬか、死ぬような目に逢いますよ。見ていてごらんなさい、赤岩さんは遠からず、マルクシストとしてもヘンテコなマヤカシ物になり、キリスト者としてもヘンテコなマヤカシ物となります。別の言い方をすれば、マルクシストとして共産党員達
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