ん。
A では、どうしてありがとうなどと言うんです。
B もちろん、あなたの御親切な気持に対してお礼を言っているんです。
A ですから――
B あなたはチャキチャキの共産党員でしょう。そして、そういう人は一般に、自分の主義や党が、すべての主義や党の中で一番りっぱなものだと信じているのが普通です。あなたもそのようですね。あなたがそれ程りっぱなものだと信じていられ、そしてあなた自身その中にいられる所へ私を入らないかとすすめてくださっているんですもの、これは大きな御親切です。御親切に対してお礼を言うのはあたりまえでしょう。それと、その御親切を受けるか受けないかは、別にしてはいけませんか? No thanks. という言葉がありますね。この事をもっとよくあなたにわかってもらえそうな実例が一つあります。聞きますか?
A 聞かせて下さい。
B 終戦直後、新日本文学会というのができた前後のことです。徳永直さんが手紙をくれて私にも加入をすすめて来ました。私はいろいろ考えた末に、加入しないことに決めて、徳永さんにそう返事しました。するとまた手紙をくれました。その手紙と共に使いの人まで来てくれました。手紙には親切な言葉が書いてありました。同時に「君が参加してくれないと、演劇関係の参加者がまとまらないから」というコッケイな言葉も書いてありました。私は、その親切な言葉に感謝し、次ぎにそのコッケイな言葉に腹をかかえて笑いました。徳永さんが「君が参加してくれないと云々」と言ったことは、いろんな意味にとれます。そのいずれの意味にとっても徳永さんの善意から出たことがわかります。それでいて、私には、それがコッケイで大ゲサに思われて、笑ってしまったのです。つまり、こうなんです。「三好が参加しないと演劇関係から新日本文学会へ参加する人がまとまらない」と言うのが、先ずウソです。私はそんな有力者ではありません。だのに徳永さんは、どうしてそういう言い方をしたのでしょう[#「したのでしょう」は底本では「したのでしよう」]? それは徳永さんが文学や文学者を「政治的」に見たためのように思われるし、また、自分自身を指導的な「くちきき」であると思ったためのようでもあるし、同時にまた、ヤリテババア式とも言えれば親分式とも言えるデマゴーグ的習慣に陥っているためのようにも考えられました。そして、私は腹の中で「徳永さんよ、ゴー
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