くて、直ぐにやれるから」とか、「ハイカラだから」とか、「これをやれば人が来るだろう」とか、「上演料がいらんから」とか言ったような事らしかった。以来、イプセンとかセキスピアだとかモリエールだとかゴーゴリだとか等々と、カタカナ大流行である。いずれもチェホフが取りあげられた時の理由以上のハッキリした理由は無い。それはそれでよいであろう。先進諸国の大作家たちの作品の上演は排斥すべきでは無かろう。しかも、それらが「あまりケイコしなくて直ぐやれ」て「ハイカラ」で「観客がウンと来て」「上演料がいらん」とあっては、これに越したことはないわけである。しかも、土方与志や千田是也や青山杉作や村山知義やその他、西洋人の生活の実質は深く知らなくても、とにかく実際において西洋をすこし見て来たり、西洋人のマネがすこし出来たり、またはマネが出来ると思いこんだりしているハクライ演出家がたくさんいる。加うるに、百年前の西洋のこれこれの地方のこれこれの身分の女が朝飯に何を食ってペチコートの下に何を着ていたかは知りもしないし知ろうともしないでも、相手役のセリフを否定する時には両肩をすくめて両手をあげて見せるという「リアリズム」だけはやれるところの勇敢なる女優や、日本人も西洋人も同じ人間なのだから、しょせんは人間に「普遍妥当」な口のきき方と動作をすればそれが演技だとイミジクも思いこんで実はかつて自分の見た西洋物の時代映画中の俳優の猿マネをしたり、それにカブキ調を「加味」したり、六尺フンドシの上にじかにエンビ服のズボンをはいたり、相手役のダームの手をいただいてセップンした手で手バナをかんだりするところの壮烈な男優などに事を欠かないとあれば、鬼に金棒だ。
だいたい現在の新劇のアカゲ物の演出や演技のシステムや細部は、小山内薫などの築地小劇場運動時代あたりを[#「築地小劇場運動時代あたりを」は底本では「築地小劇場運動時代あれりを」]出発点として発生して来たものであるが、そして、その小山内薫などの演出や演技のプロトタイプ(原型)は何かと言えば、主としてアチラで見て来た舞台の記録や記憶や、買いこんで来たおびただしい数の舞台写真をつなぎ合せて、西洋人らしい動作やスタイルをマネるというやりかたであった。つまり物マネのシステムであり細部であった。小山内には、そうせざるを得ない必要もあったし、必然も無くは無かった。ところが、
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