タリイのマリネッツイなどが先導した未来派に引かれ、さらに進んでは今で言えばモビールにあたる――人生と社会のあらゆるアクションの組合せが偶然に創り出す美こそ真正の最高の美であると言う考えにとりつかれた。そのへんから当然美を純粋に追求すればするほどタブロウにはなり得ないと言った自己矛盾におちいり、ついに描かれない絵――したがって誰の目にも見えない絵――だけがホントの絵だという自己破壊的な結論に到達するに及んで私の遍歴は終りました。その後、現在まで私は一貫して写実的な絵だけを描いています。つまりがシュールやアブストラクトはいつでも描けるがすぐ飽きる。写実だけが自分を飽きさせないのです。
本職の画家でない私の例は参考にはならぬかも知れぬが、正直の話、どうでしょうか? 未開の土人や子供などがけんめいに写実を志して描いた非写実的な絵に時に私は感動する。また写実を追って追い抜いた末に反写実的になってしまった近代画家の絵に往々私は感動する。しかし一つの新奇なるスタイルまたは習慣的な演戯としての前衛絵画のどのような作品の前では一度も率直に感動したことがないのです。君はどうですか?
そして人が自分を真
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