ェ来たらきっと払う、サン・ラザールのマリヤにかけて!
タン ……どうも、しようがないなあ。じゃま、こんだ必らず払って下さいよ。ええと、二十フランに、今日のぶんが、オークルを加えてと、九フランと、二十サンチームと――(言いながら、棚の箱から絵具のチューブを出して、今までの二本に加える)
学生 ありがたい、助かるよ……(と、ホクホクしながら、そのへんを見まわしていたが、「タンギイ像」に目をとめて)ほう、小父さん描いたの? 似てるなあ。自画像ってわけだね?
タン へへへ、やあ、そういうわけでもありませんけどね……ちょっと、その――はい、これ。(とチューブを渡す)
学生 ふむ。……(絵をジロジロと見て)おもしろいじゃないか。思い切って荒っぽい所が良いよ。われわれ玄人には、こうは描けんな。(ニヤニヤ笑いながら)恐いもの知らずと言う奴だね。ふん。
タン わしは、それが、気に入っているんですがね。
学生 しかしね、絵を本気でやって行くつもりなら、もう少し絵具を殺して描かないといかんな。これじゃ、みんな生だよ。それに、いくら商売物で絵具はいくらでもあると言ったって、いきなりこんなにどっさり塗っちゃ駄目だよ。まるで、ダブダブに盛り上っているじゃないか。
タン なるほど、そんなもんですかねえ。
学生 まあ、しっかりやりたまい。じゃ、さいなら。(手のチューブを振りまわしながら出て行く)
タン へい、ありがとうござ――(途中で言葉を切って、ゴマ塩ひげの頬をガシガシ掻きながら学生を見送っている。――その学生は、通りすがりに、先程から飾窓を覗いている若い娘をからかう。娘がモジモジした末に、コケットに笑いながら通りを小走りに向うへ逃げて行く。それを追って画学生も駆け出す。それらが全部見える――パリの裏町の秋の午後のちょっとしたパントマイム)

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どこかの教会の鐘が、鳴っている。
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おかみ あなた――(言いながら、上手の通路からコトコト出て来る。小柄な五十ぐらいの女)お客さんでしたか?
タン うむ、いや、コルモンさんのアトリエに居る、若い絵かきさんで、たしかマルタン――
おかみ また、絵具を貸したりはなさらないでしょうね?
タン いや、そりゃお前、そんな――
おかみ あんたはチョットおだてられると、良い気になっちまって、ポイポイと貸しちゃ、それなりけりで、代金は払っちゃくれない、そのカタにわけのわからない絵など掴まされてばっかり居なさるんだからね。……コーヒーはここであがるんですか、奥にしますか?
タン そうさな、ここでもらうかな。……
おかみ でも、飲んでいる所へ絵かきさんでも来ると、そちらへも出さなきゃならないんだから――ホントに、いくらあんた金が有ったって、こんな調子だと、たまったもんじゃありませんよ。また、絵かきなんて言う人たちは、皆が皆どうしてこう、揃いも揃って、いけずうずうしいと言うか自分勝手と言うか、気ちがいじみて、グウタラなんだろう。因果なことにその絵かきさんが、家のお客なんだからねえ。
タン じゃ奥へ行って飲むか。

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言っている所へ、三人の人が通りの方から来る。エミール・ベルナールとロートレックとベルト・モリソウ。ベルナールは、温和な美貌の青年で絵具箱を肩にさげている。ロートレックは貴族的な黒の礼服を着た小男で、それほどの年でもないのに、一見五十過ぎに見える。ベルト・モリソウは富裕な夫を持った四十四、五歳の女画家で、ハデで上品な身なりと美しい顔のために、三十歳ぐらいにしか見えない。――三人はこの店に入って来かけて、飾窓の前でチョット立ち止る。ロートレックが、ステッキで、中の絵の一つを指している。
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おかみ そら、おいでだ。ロートレックさんと、ベルナールさんと、あの奥さんは何とか言ったっけ――
タン モリソウの奥さんだよ、ベルト・モリソウ。綺麗な絵を描く人だ。……(言っている内に三人が店に入って来る。タンギイその方へ寄って行き)これは、いらっしゃいまし、モリソウの奥さん、良いお天気でございますな。
ベルト (やわらかな会釈をして)モンマルトルの丘の上から見ると、空がルリを溶かしたように見えてよ小父さん。パリは今頃が一番ですわね。
ロート (酔っている。タンギイに)やい、詐欺師! また、うまくやりやがったな。どうして巻きあげた、あれは?
タン (相手の口の悪いのには馴れている。微笑しつつ)なんですかな、ロートレックさん?
ロート あのマルチニックさ、ゴーガンの。あれは小さいけどポールが離したがらないでいた奴だ。
タン 良いもんでしょうかね?
ロート へっへへ
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