ニ思うんだ。僕の手紙は、ただ兄さんのことをくれぐれもよろしく頼むと言う意味の手紙で、しかし相手があの調子のモーヴだから、こっちの書きようも少しきびしくなるんで――
ヴィン ありがとうよテオ!(テオの手を何度も握りしめる)ありがとう! 実はあの手紙を読まされて、君から見捨てられやしないかと思った。お父さんは、まあ、仕方がない。しかし君から見捨てられたら僕はどうしていいかわからなくなる。ありがとう!(涙声になっている)
テオ いいんですよ、そんな、――いいんですよ兄さん。(ボロボロ泣いている。それをテレて笑って)馬鹿だなあ、兄さんを僕がどうして見捨てることができるんです? 兄さんは、これから立派な画家になる。そうですよ。そして、画家の仕事は戦いだって、ミレエの言葉を、手紙に書いてよこしたのは兄さんだったじゃないですか? アンダーラインまで引いてね。ハハ。
ルノウ いいねえ! 兄弟衆の仲の良いと言うもんは!(彼女流に、しんから感嘆して)そうですよ、ここのゴッホさんは、腹ん中のきれいな人ですからね。弟さんもまた、良い弟さんだねえ!
テオ (ヴィンセントに)こちらは、あのう――?
ヴィン 食料品屋のルノウと言って、僕がいつも厄介になってる――
テオ そう。そりゃどうも。どうか一つ、今後ともよろしくおたのみします。
ルノウ へえい、なにね、大したことは出来ませんですよ。なんしろ、ちっちゃな店でね、カケの二つ三つ倒されりゃ、それでポシャツちまうような身上ですからね、へへ、今もあんた、それなんですよ。待ってあげたいなあヤマヤマだけんどさ、六十フランとなると、わしらの店では大金だからね。それがねえと毎日の仕入れも出来ねえような始末だ――
テオ (聞きとがめて)六十フラン、では、カケが溜っている――?(兄を見る)
ヴィン (すまなそうに)そうなんだ。シィヌの母や子供たちの方へも食い物をまわさなきゃならないんで――
ルノウ (ツケをテオに見せながら)しかしまあ、こちらにねえとあれば仕方がねえから、もう少し待たざあなるめえと思っていたとこでね――
テオ そう、それはすまなかった。(兄に)ちょうど、送ろうと思って五十フランをここに持って来ています。ここんとこ僕もちょっと苦しくって、今、他に持ち合せがないんだが、帰ったら都合して残りもすぐに送ります。(言いながら、五十フランを出して、おかみに渡す)
ルノウ いんごうなことを言ったようで、すみませんねえ。いいんですかあ? そんじゃまあ……助かりますよ、こいで。
ヴィン テオ、すまない。……
テオ なに、もう少し早くなにすればよかったんだが、なにしろ、僕もこれできまっただけの月給で、目下ギリギリ一杯なもんだから。間もなく、店の支配人にしてくれるらしいから、そうなれば、もう少しなんとか出来るから。
ルノウ 支配人ですって? 結構ですねえ。どんな会社におつとめで?
テオ グービル商会と言って、ギャラリイを開いて、この、絵を商っています。
ルノウ ギャ、ギャラ――へえ、絵をね? どうれ[#「どうれ」に傍点]で、兄さんが絵かきになろうと言うんですね。兄さんがセッセと描いたのを弟さんがセッセと売るんだね? へえ! よっぽど、この、絵なんてえものは、利廻りの良いもんですかねえ?
テオ (苦笑)いえ、それほど良いわけでもない――
[#ここから4字下げ]
そこへ、ドアにガタンと音がして、外から、身体ごとぶっつけてドアを開けてフラフラと入って来るシィヌ。片手にヂンの瓶をさげている。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ヴィン ああ、シイヌ、お前――(相手が足元もきまらぬ程に酔っているのを見てドッキリ言葉を切る)
シィヌ ――Sur le pont d'Avignon……
ルノウ あら帰って来たね。どこへ行っていたんだよ?
シィヌ え?(薄暗い室に、外から、いきなり入って来たのと酔眼のため、眼を据えて、すかして見て)あらあ、ルノウの小母さん、こんな所に来てたの? なあんだあ!
ルノウ どうしたんだよ?
シィヌ ハハ、あんたん所へ行ったのよ私。留守だろ? だから、しかたがないから、キューペルの酒場に寄って、これ――(ヂンの瓶を示して)借りてね、フウ!
ルノウ キューペルで、よく貸してくれたねえ?
シィヌ 小母さんちを訪ねて行って、またなにして稼ぐ気だって、あたいが言ったら、そんならまあ貸してやろうって――へへ!
ルノウ またなにするって、お前――(とヴィンセントの方を気にしてジロジロ見る。ヴィンセントは真青になって言葉もなくシィヌを見つめている)――なんせ、いい御きげんだね?
シィヌ 御きげんだわよう。ラララ、ラ、Sur le pont d'Avignon, L'on y passe, L'o
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