どうを見てあげる。聞いてくれなければ、一切これっきりだ。絵の指導はもちろん、お目にかかるのも、ごめんこうむる。いいかね?
ワイセ ヘヘヘ、フフ!
モーヴ どちらが君自身のためになるか、よく考えて決めるがよい。私の言うことは、それだけだ。いずれとも君の好きなように。
ワイセ ハハ、ヘヘヘ!
モーヴ なにかね、ワイセンブルーフ? 何を笑っている?
ワイセ なにね、いや、説教はそれくらいにして、ここに来てこの絵を見たまい。
モーヴ うん? 得意のミシュレかね?(立って素描の所へ来る)
ワイセ 飲んだくれだけはよけいだが、君は今、絵の良し悪しだけはわかる男だとわしのことを言った。
モーヴ 言ったがどうしたんだ?
ワイセ だから、この絵をよく見たまい。なんなら、もう一度シャッポを脱ごうか?
モーヴ (それまでニヤニヤしていたのが、素描を見るや、スッと笑顔を引っこめる)……ふん。……(ジッと見ている)
ワイセ (これも絵を見ながら)手ひどい絵だ。なんともかんとも、ひど過ぎる。
モーヴ うむ。……(ほとんど嫌悪の表情で絵を見守っている)
ワイセ 美しくもなんともない。むしろ醜悪だ。絵ではない。
モーヴ 絵ではないな。
ワイセ それでいて、この中には、何かが在る。どんなものが来てもビクともしない、恐ろしいような、何かがある。泥だらけのジャガイモか……ふん……だから、これで、絵なんだ。
モーヴ ふん。
ワイセ ゴッホ君が君の言うことを聞けば、また絵の指導をしてやると言ったが、どっちにしろ、指導などするのはやめたまい。指導してはいかん。また、指導はできないよ君には。
モーヴ どう言う意味だね、それは?
ワイセ 君は良い絵かきだ。わしは好きだ。しかし、こんな絵を描く奴には――そいつの将来については――(と、先程からの二人の会話を全く耳に入れないでテーブルの所で手紙を読みふけっているヴィンセントに目をやり、一歩そちらへ進んで、再び山高帽をぬいで)脱帽! ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ!(ていねいに敬礼する)
ヴィン (気づいて、びっくりして)え? なんです?
モーヴ からかうのも、良いかげんにしたまい。
ワイセ からかっているのか、わしが? ハッハ! モーヴ、君は今までの絵の伝統にとりつかれているために、今の所、わからないような気がしているだけだよ。伝統の久しきにわたれば、すべてそれだ、君の罪ではない。ヴィンセント、君はこれでいいんだよ。この調子でグイグイ、ゴツゴツと描きたまい。ほかの絵かきが美しいなどと言うものを信用するな。自分がホントに美しいと思うものだけを、それだけを、描くんだ。
ヴィン (しかし彼はそれまでの話を聞いていなかったのと、父と弟の手紙を読んで非常にガッカリしているために、ワイセンブルーフの言葉の意味あいがわからない。苦しそうな、ションボリした声で)ありがとうワイセンブルーフさん。しかしまだ僕にはデッサンがチャンとやれないんです。
ワイセ これでいいんだよ。自分の眼を信用したまい。
ヴィン ……(モーヴに)アントン、それで、僕はどうすればいいんです? こんなにまで父に心配をかけ――母も僕のことをあんまり考えていたんで病気になったそうだし、それにテオはこうして「兄さんのことは、私の力に及ばないような気がします」と書いて来ているし……まったく、僕はロクでなしの、みんなの重荷だ。どうすればいいか、僕は、それを思うと苦しくって――
モーヴ だから、私の言う通りだな――
ワイセ ゴッホ君、聞くな! 君は絵かきだ。絵かきは絵さえ描いていればいいのだ。その他のことは、どうでも良い! ハタが困ろうと、親兄弟が泣こうと、うっちゃって置け。誰と寝ようと、梅毒になろうと、餓え死にしようと、そんなことはどうでもいい。絵さえ描いて行けばいいんだぞ!
ヴィン いいえ、僕は、とてもそんなことは出来ません。僕はこんなに弱虫で、みんなに迷惑ばかりかけているのが、とてもたまらないんです。早く、僕の絵が売れるようになれば、少しは――
モーヴ だからさ、そんなふうに思っているのが嘘でなかったら話は簡単じゃないかね。おやじさんもテオ君も、君が絵を描いて行くことそのものに反対はしていない。むしろ援助しようとしている。わしも同じだ。だから――
ヴィン しかし僕はシィヌと別れるわけには行きません。あれは僕と一緒になってから、やっと変な男たちを相手にしなくなりましたし、酒も飲まなくなった。それをまた、僕が突き放すと、どうなると思うんです?
ワイセ ハハハ、だからそう言うミシュレ好きの感傷主義を捨てろとわしは言っているんだよ。画家は絵のためには一切のものを踏みにじり、捨てなきゃ、いかん。たかが女一人が何だね?
ヴィン でも、僕には現在、全世界よりもシィヌ一人の方が大事なんです。僕は間
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