ると、ライフから浮き上り、離れてしまい、そして衰弱する。それを時々、人生画家が出て来て救い、本道に立ちもどらせる。現在、パリその他に、アブストラクトやシュールを批判して否定して、もう一度強固な人生と実在を踏んまえて立とうとしつつ素朴なリアリストたちの動きが現われて来つつあるのはそれだろう。そして、それらがいろいろの意味でゴッホに血脈を引いていることは疑いのない所だろう。
美が美だけとしてライフから切り離されて追求された所で絵が描かれれば「手品」になる。西洋にも日本にも現在手品じみた絵が多過ぎる。そのことを反省する意味でもゴッホの絵は、今、丹念に振返って見られる必要があると思う。
[#地付き](「毎日新聞」一九五一年九月五日付)
炎の人
私がゴッホの絵に引きつけられ、彼の一生の足跡から強く動かされたのは、早く十代の中学一二年からのことである。
もともと絵がひどく好きで、青年時代まで画家になるつもりでいた。青年時代に、絵を描くだけではどうしても満たされない飢えのようなものから促されて詩を書き出し、それが発展してやがて劇作に移って行き今日に至っているが、その間も絵を描くことはやめ
前へ
次へ
全16ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング