がゴッホを知ったということが自然に思われるのである。
 思い返してみると私の青少年時代は普通の人に比べてびっくりするくらい変化の多い生活であったが、ことに中学の一二三年ぐらい私の上には境遇の点でもまた私という人間形成の点でも言ってみればシュトルム・ウント・ドラングの時代であって混乱と動揺に満ち満ちた月日であった。そうだ、当時の私がおそろしく貧乏で孤独でそして絵が好きであったという点では、ゴッホと類似があるかもしれない。食べる物も学費も着るものもいっさいがっさいが気まぐれな叔父叔母のめぐみによるものであって、学年末に至るまで教科書がそろわないことが常例であった。それに両親の味を知らない孤児で、自分を育ててくれた祖母は十二歳の時にすでに亡くなっていた。親戚や友達は多かったが心はいつでも肉親の愛に飢えていた。絵は前述の通り何よりも好きであったが、その水彩画を描く画用紙や絵具が完全にそろっていたということはめったになかった。それでいながら私の性格にはどこかしらのん気な所があって、そういうことをさまで苦にやんでいなかった点はゴッホの若いころとはだいぶ違うようだが、しかし貧乏で孤独であったという点
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