っているか倒れているかの二つの姿しかなかったとも言えよう。創造的性格というものは、いつでも多かれ少なかれそのようなものらしいが、ゴッホにおけるほど極端に純粋な例は、他に多く見られない。それは刻々に火が燃えているのと同じだ。美しいのと同時に、あぶないような、怖ろしいような、感じでつきまとう。
 ゴッホの生涯を見ていると、セツなくなり、少し息苦しくなって来るのは、たしかにそのセイである。私は彼を、普通言うところの精神病者としては見ないのだが、右に述べたような意味でならば、彼の性格全体の中には「狂」に近いものがあった。そして、それが、非常に強い美と真実の感じで、われわれを打つ。
 第二のことは、ゴッホが徹頭徹尾「貧乏人の画家」であったこと、言うところのプロレタリヤ画家の意では必ずしもない。貧乏に生れ、貧乏人の中に在り、貧乏人の気持で絵を描いたと言うことだ。サロンのためや、特権者たちのためには一枚も描いていない。しかもそれが、特に意気張った態度や、特定の思想体系から来たものでなく、きわめて自然なナイーヴなものとして出て来ている。それだけにまた、どんな場合にどんな目に逢っても取替えようのない根深
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