では似ていたと言えよう。貧しい人間は本能的に貧しい人がわかるものだ。孤独な人間はこれまた本能的に孤独な人をかぎわける。そうだ、私のゴッホに対する強い親近感はあるいはそのようなところにも根ざしているかとも思う。
しかしもっと根本的にはゴッホの絵の本質に私が強く強く自分の内部を動かされたからだという気がする。彼の絵をじっと見ている私の内部の、ほとんど自分にも気がつかないような深いところが刺戟され、そこがうずき走るように快い。私は一般に絵画が好きだからどのような画家の絵も喜んで見るが、ゴッホの絵を見て感じを与えられる画家は他に幾人もいないのである。この感じは私に非常に親しいものであるのと同時にいつでも新鮮なものだ。言葉でも文章でもこれは説明ができない。しかしゴッホの絵を見ていると、それがそこに実在しているということをなんの疑いもなく私は感じる。そしてゴッホのことを「真の画家である」と思うのである。
[#地付き](一九五八年九月上旬)
底本:「炎の人――ゴッホ小伝――」而立書房
1989(平成元)年10月31日第1刷発行
入力:門田裕志
校正:伊藤時也
2009年3月24日作成
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