拠ってもって立っている民主主義との関係についてであります。
私は昨年(一九五二年)すえのある新聞につぎのような文章を寄稿しました。
「友人と私は喧嘩をした。しかけたのは私で、その動機はまちがっていた。喧嘩中に友人はひどい兇器を使った。
喧嘩は私が負けて、私はあやまって、今後ながくこの友人と仲よくしていきたいと思っている。
ところが友人はその兇器をまだふところに持っている。軽率に出して使いはすまいが、でも、彼がどういう理由でどんな気持になったときに使うかがハッキリわからないので、こちらは不安で、気を許してほんとに仲よくしてもらうわけにはいかない――。
アメリカが日本と仲よくしてやっていってほしいとわれわれは望む。しかし望めば望むほどアメリカの持っている原子兵器が気になる。どんなときに、だれが、どんな機関が、それの使用を決定するのか? それらを秘密またはアイマイにしておくことによって、他国の戦意を威圧していこうというのかもしれないが、それで今後ぜったいに戦争が起らぬことになればありがたいが、それにしても不安は消えず、そして不安はさらに大きな戦争の原因にもなりうるのだ。
戦争中、
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