ぜでしょうか? 現在のアメリカに原爆使用について論議することを禁ずる法律はなかったと思います。それとも、アメリカ文化人のあいだには、原爆使用の問題については語らないという、暗然のタブウのようなものがあるのでしょうか?
 かりにそんなものがあったとしても、私は質問をひかえるわけにいきません。それは、われわれ日本人が原爆の最初の被爆者であるゆえです。
 あなたがたは、広島と長崎という、ほとんど無防備にちかい都市の非戦闘員にむかって、まえもっての警告なしに原爆を落した。一挙に数十万の市民が殺傷されました。それからの被害のあるものは、いまだに残りつづいています。全日本人の大半が、広島、長崎の被爆者と縁故のないものはないと言えます。私自身も、私にとってかけがえのない数人の親友を広島で失っています。
 彼らの全部が一気に死んだのではありません。のたうちまわって苦しみ、しかもそのすえにかならず死ぬことを知らされつつ死んでいった人も多いのです。そういう人たちの苦しみと、それを見まもっていなければならなかった私たちの苦しみを、想像していただきたいと思います。
 誤解しないでください、私はこのことについてあなたがたをここでとがめようとしているのではありません。たぶんそれは、とがめることのできることがらだと思いますが、私にはその力も資格もないし、またここはそういう場所でもない。それに、戦争をはじめてしまった以上、その戦争のなかで相手を倒すためには、ばあいによって、どのような種類の破壊力でも使用するのは当然または、やむをえぬことだとする考えかたもあるわけですし、またあなたがたは「それでは真珠湾の無警告攻撃はどうだ?」と言うかもしれない。たしかに、それももっともなことです。そのようなことのいちいちを比較計量して断罪しようとしても、いまとなっては意味をなさぬと思います。ただわれわれは、広島と長崎の原爆のことを忘れることができないのです。
 いうまでもなく、私どもはこの記憶を、憎悪や怨恨のために使いたくはない。できるならば、今後の世界と平和と人類の幸福に役だつように使いたい。それがまた原爆被害者達の死や苦しみを無駄にしないためのいちばんの道でしょう。この点ではたぶんあなたも賛成してくださると思います。そのためには、私どもは今後戦争をひきおこす原因になりそうなことを、できるかぎり取りのぞいていくつ
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