、私の質問をもうすこしくわしく語りひろげてみたい、そしてそのことによって、あなたの答えをさらに催促したい、それがこの文章であるわけです。
 私の質問に答えることが、それほどたやすいことではないことは、わかります。ことがらはひじょうにデリケイトです。
 あなたは、もしかすると、原爆のようなあまりに大きい破壊力を持った兵器を使用したことを後悔なさっているかもしれないし、またもしかすると、良心にとがめていられるかもしれない。またあなたはもしかすると、戦争は戦争なのだから相手を早急に打ち負かし、そのことによって戦争がそれ以上ながびいたばあいに起きるであろうさらに大きい彼我の災害をくいとめるためには、原爆の使用はやむをえなかった、ばあいによって使用した方がよかったと思っていられるかもしれない。またもしかすると、すでに戦争は終って、アメリカと日本とのあいだには講和がむすばれ、安保条約ができて、日米間の協力と親善関係が緊密なものになる必要と希望が感じられている現在では、戦争中の記憶はなるべく早く消えていった方がよい、それにはその中でもっともいちじるしかった原爆について、いまさら語らない方がよいと思っていられるかもわかりません。そういった考えかたは、私に理解できなくはありません。しかし、じつは、そういう理由そのものが、私があえて質問をする理由でもあるのです。すなわち、現在から将来にわたって、日米間の協力と親善の関係が緊密なものになる必要と希望を、私およびもしかするとあなたも感じているために、私は質問を出しているのだから、あなたは答えてくださらなくてはならない。
 終戦後、ごく少数のアメリカ文化人が、原爆のことを語った言葉の二三を私も新聞紙上で読んだことがあります。しかしそれらはすべて、ひじょうに持ってまわった、しかも抽象的な、またはボンヤリした意見であったし、それにまた、それにつけくわえられていた日本人にたいする言葉も、ただ「お気のどくでした」程度の挨拶にすぎませんでした。
 私はふしぎでなりませんでした。なるほど政治家達は、政治の必要から往々にして率直にものを言いません。それはどこの政治家もそうだから仕方がありません。しかしアメリカにも学者や評論家や文化人たちはいます。一言にいって、アメリカの良心といえる人たちは多い。そんな人たちが、このことについてこんなにまで発言しないのは、な
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