れ」その人言う「いずれのいましめを」イエス言いたまう「殺すなかれ。姦淫するなかれ。盗むなかれ」「いつわりのアカシを立つるなかれ。父と母とをうやまえ。また、おのれの如くなんじの隣人を愛すべし」その――ああ!(ギクリとして口の中で叫ぶ。手に持った聖書がひとりでにめくれて表紙の見返しが現われ、そこに書いてある文字を見たのである)片倉……
伴 知っているね? 君の字だろう?(ニヤニヤして本の見返しを覗きこみながら)われらのために十字架にかかりたまいしイエスのみもとにて、逢わん、か。洗礼をさずけし日に、人見勉。わが兄弟、片倉友吉君へ。
人見 ……すると、すると、なんでございますか。さきほどからの事は、片倉の、この、なにか、この――
伴 だからさ、私が聞いているのは――
人見 あれは実に、なんです、おとなしい、正直な……まるでこの、子供のように単純な男でして、それが、なにか――
伴 うん、正直ではあるようだな。……こらこら、なんだそりゃ、君!(人見の足元を指す)
人見 は?
伴 いかんよ、おい!(人見の足もとに水たまりができている)きたないなあ!
人見 はあ?……(その水たまりと、伴の顔を見くらべても、まだ自分のした事に気づかず)はあ?
伴 困るじゃないか、どうも――
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(そこへ半開きになっていた扉から、そこまで連れて来た下士官の軍服の腕で背を押されて、ヨレヨレの訓練服を着た片倉友吉が入って来る。ほとんど少年といってよいほどの単純で柔和な顔が青い。からだつきと動作にどこか調子のこわれたような所ができている)
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伴 ……そこへ、かける。
友吉 ……(伴にていねいにおじぎをしてから、人見を見る。相手を認め得ないでポカンとしている)
人見 ……(石のようになって、友吉を見つめていたが)……片倉。
友吉 ……(不意に相手を認めて)……先生。……(うれしそうに微笑)
人見 ど、ど、どうしたんだ、友吉君?
友吉 ……(マジマジと人見を見ていたが)人見先生……助けてください。……(子供らしくいって、唇のすみがギュッと下にさがり、からだが一つフラッとしたと思うと、立木が倒れるように前の方へストンと倒れて、動かなくなる。……その彼の頭が、人見のこしらえた水たまりのすぐわきにある)
伴 なんだ?……
人見 ……(二人ともユカの上の友吉の姿を見守っている
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