コを持上げて、土方に渡す。
 土方が、それを、大岩と小岩の間にグワツと突込んだのが瞬間である。いきなり中腰になり、金テコの末端を肩に当てて、ウムツ! と力を入れる。
 全てが一瞬間の出来事である。
 いつ傷ついたのか、レールをガツシリと掴んでゐる右手から、血がタラタラと垂れてゐる。
 全身の力で、重みをこらへながら、左手を火夫の方へ振り、
 「退いた! 退くんだつ!」

 息づまる瞬間。――
 緊張のあまりシーンとなつてしまつた人々の中から三四人の男達が、やつと、金テコに取り附く。起き直つた信太郎もその中に加つてゐる。はら/\するお若。

 土方「いいかつ! そら、ひのふのみつ[#「ひのふのみつ」に傍点]!」
 その掛声と共に、今度はテコ応用で六七人の男の力が加はる。岩がグラリと傾き、勢ひが附いて転がる。
 線路の外へ出る。
 全員の無言の喚声。――緊張は直ぐには取れず、全員は呆然としたやうに顔を見合せてゐるのである。
 不意に泣き声がするのを見ると、――スミである。
 わきに立つたお若も啜りあげてゐる、信太郎も涙を浮べて笑つてゐる。火夫と工夫とが、土方に礼をする。それらを見廻しながら、黙つてゐる土方。

 大岩の取りのけられた後は、線路には三四岩があつても小さな奴なので、取りのけるのに大した手間はかかりさうに無い。

 人々の間にやつと喜びの話し声が起る。

 客車の方へ引き上げて行く乗客達。

○客車。
 今の騒ぎのことをガヤガヤと喋りながら、席を取る乗客達。
 血だらけになつた片手を拭きながら戻つて来る土方、その後ろからスミ。スミの後に引き添つて楽士。それからお若。お若のそばを離れようとしない旅商人。

 皆は、まるで英雄を迎へるやうにして土方を迎へるが、土方はムツツリしてゐて、どうしたのか酷く不機嫌である。最後から刑事に附添はれて戻つて来た信太郎が心から土方にすみませんと言ふが、土方はプイと横を向いてしまふ。

○金持の紳士が皆を代表したやうな口の利き方で謝意を表し、飲んでゐたウイスキーを土方に差さうとする。
 土方、ことわる。
 紳士、更にしつこく差す。
 土方「いらねえと言つたら」と振つた手がウイスキーの瓶とコツプに当つて、それが床に落ちて割れる。

 そのために何となく恐れをなして、スミに附きまとつてゐた楽士が、コソコソ立つて仲間の方へ行く。
 刑事「どうも御骨折、ありがたう。私はこんな者だが、人命救助として報告したいから――」
 土方、愛想も無く相手にならぬ。
 車掌が「会社の方へ申告して、御礼をする手続きをしますから、御名前と御所《おところ》を――」と言つて来る。

 「礼が欲しくつてやつた事ぢや無いんだ」――なんだか怒りを含んだ声である。
 プイと窓の方を向いて相手にならぬ。

○スミが礼を述べる。
 スミにだけは返事をする土方。
 スミと土方の対話。

 「全く馬鹿な話さ。誰だつて、人の世話あ焼かねえ方がいいんだ。死ぬ奴あ、死んだ方がいいんだ。馬鹿な!」云々。何の事だかわからずにビツクリしてゐるスミ。
 時々トンチンカンな問ひをするスミを相手にして土方の述懐。
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(ダイアローグはコンテイの際に。此のダイアローグは重要である)

 土方の哲学――悪徒のツムジ曲りの人生観――トツサの間に人命を助けたことに就ては、彼は自分自ら、そんな気持が自分の裡に残存してゐたことに就て、ひどく驚き、且、心外に思つてゐるのである。
 且、自分の人生観体系が、こんな事で崩壊したのを見るのが、彼にして見れば悲しくもあれば腹も立つ事である。
(地主邸に放火をしても平然として逃げつゝある自分がこんな風にトツサに人間らしい気持から人を救つたことが、彼には自分の敗北の様に意識されるのだ)――

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
 スミ「……あんの事だか、おらにや、わからねえ」
 土方「アハハハ、お前さんにや解らなくていいさ。――(急に真面目に)あの男あ東京に居る頃、千円あまりも俺に借りがあつたんだ。金ばかりぢや無え。世話だつて、どいだけやいてやつたか解らねえ奴だ。ハハ、こう見えても、私あ、元東京で手広く請負稼業をやつてゐた事がある。その頃の話だ。かうして今ぢや落ちぶれてしまつたがね。通りかかつたもんだから、彼奴の事思ひ出して、どうしてゐるかと思つて寄つて見りや、ユスリにでも来たかと思やがつて、十円パツチの包みを出しやがつて追払ひにかかるんだ。高利の金を貸して、人を泣かした揚句が、今ぢや地主か何か知らねえが、へん――あんまり癪に障つたから怒鳴つてやつたら、人を呼んで来て叩き出しにかかるんだ。あんまり、ナメた真似をしやがるから、――なあに、あんな奴あ叩き殺せばとて、世間の功徳にやなつても、悪かあ無え代物さ。腐れ金で建てた百姓家の一軒や二軒灰になつた位が何んだ!」
 スミ、びつくりして「へつ! あんですか?」

 土方「いや、さうぢやなからうかと言つてゐるんだ。ビツクリしなくともいい。アハハ。お前さんは気立てのいい娘だ。お前さんの様に腹ん中の綺麗な人を見るのは、私あ初めてだ。――東京に何をしに行くね?」
 スミ「一六さん、待つて居ります」
 土方「兄さんかね?」
 赤くなつて、かぶりを振るスミ。
 土方「御亭主か? さうか。ぢやお前さん嫁入つて行くんだね?」
 スミ「……(小さい声で)へい」
 土方「さうか、そいつは、めでたい。可愛がつて貰ひなよ。お前さんを嫁に持つ男は日本一の仕合せ者だ。さうか!」
 スミ「んで、小父さんは、こいから、どこへ?」
 土方「何処へ?……さうだ」
 考へてゐたが、隅の刑事と信太郎の方を見て、フイと立ち、ヂツと見詰めてゐる。――

 再び坐つて、お若を眼で捜して、少し離れた所に居るお若に、
 「あんたあ、町へ身を沈めるのは止しにして、村へ帰つて、あの人の帰るのを待つてゐるがよいよ。あの人は二三日したら放免されて戻つて来るさ。帰りな」

 お若は訳がわからず反問する。

 土方「俺がさう言つてゐるんだ。俺の言ふ事が信用ならねえのか!」と怒鳴る。
 お若「では帰ることにします」

 やつと笑ひ出す土方。
 土方の血だらけの〔手を〕手当してやるスミ。
 スミに向つてする土方の短い述懐。
[#ここから2字下げ]
地主邸放火の件を自首して出る気になつてゐる事を短く、鋭く。
それは悔悟の気持からではない。人生観の自己崩壊からである。――この点を強くダイアローグの中に入れる。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
 無心にホータイをしつつ聞いてゐるスミの手の甲にポタリと落ちて来たものがある。
 びつくりしてスミが見上げると土方の眼に涙が一杯。涙を拭きもしないで、スミを見たまま頬笑んでゐる土方。

○そこへ車掌が来て、線路の岩の取りのけがスツカリ済んだから、直ぐ発車しますと告げる。
 喜び湧立つ車室内。

 楽士達が、おどり上つて楽器を鳴らしはじめる。楽隊。(音楽、楽隊。元気の良い行進曲かなにかを)

○列車動き出す。初め徐行。崖くづれの個所を通り過ぎた後で速力を出す。

 客車内は明るい。喜び勇んだ乗客達と、豚達と、それから、鳴り渡る奏楽を乗せた列車が、暗い夜の中を走る。(朝にすれば変る)

○E市の警察署(らしい)近くを刑事と信太郎、それに曲馬団の一人に連れられたスミが行く。
 少し離れて、お若が行く。それから土方が附いて行つてゐる。その後からキヨロキヨロと旅商人が追つて行く。
 警察署の表札の下部が見える。
 その門内へ、右の人々が次々に入つて行く。土方も入つて行く。
 門の所に旅商人だけが取残されてポカンとしてゐる。

○鬚を生やして眼鏡をかけた制服の人(署長)が何か聴取してゐるらしい顔。

 壁の上の八角時計。

○制服を着た右手が、壁につるした大きなメクリ暦を一枚めくり、二枚めくり、三枚めくる。

○朝。
 陽がカツと明るく照してゐる。
 通用門の外である。代書屋がある。
 代書屋の前でシヤガンで、人待顔に通用門の方を見てゐるのは旅商人。

 通用門から、ニコニコして包みを持つた信太郎来る。
 続いて荷物を持つたスミ。それからお若。三人とも喜色を浮べて。――スミは片手を廻して背をポリポリ掻いてゐる。

 信太郎とお若がスミに礼を述べる。
 そしてお若が「私達は真直ぐ村に帰るので、これは要りませんから、どうぞ取つて下さい」
 と貰つた金を返す。
 「しかし汽車賃が要るだから」とその中の二三円をお若にやるスミ。頂いて礼を述べる信太郎とお若。
 スミ (門内を振返つて)「んでも、あの小父さんもなるべく軽くて済めばよい」
 三人門内を振返つてゐる。

 やがて三人、互ひに旅の無事を祈り合ひ、なつかしさうに涙ぐみつゝ振返りつゝ別れる。(スミは省線の駅の方へ。信太郎とお若は軽便の始点の方へ)――
 ガツカリ見送つてゐる旅商人。

○スタスタ急ぐスミ。
 「おすみさん――と言ひましたね」振返ると旅商人だ。
 「これからどちらへ?」
 返事をせず歩き出すスミ。しつこく追つて来て色々話しかける旅商人。果ては荷物に手を掛ける。
 振返つて、いきなりスパツと相手の頬に平手打ちを喰はせるスミ。向直つてトツトと歩いて行く。――
 毒気を抜かれてポカンと見送る旅商人。

○上野駅のプラツトホーム。
 心配そうに焦々して待つてゐる楠一六。彼の手に電報。
 その発信局の名がE市の駅。それが彼には訳がわからぬ。

○列車到着。
 一六、眼を皿にして捜すがスミの姿無し。箱を次々にあわてて捜して行く。
 旅客の殆んど降りてしまつた降車口から、恐ろしく風変りなツンツルテンの洋装で降りて来る女。
 一六には初め、それとわからぬ。やがてスミを認めるが、その変り方の異様さに驚ろき呆れて、口を開けて見てゐる。双方見合つて永いこと立つてゐる。

○スミ、声を上げて泣き出す。一六をこづき廻すやうにし、しまひに、むしやぶり附いて行くスミ。
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(めでたし、めでたし)

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(附記)
――これは、久しい前に、こんな風な筋と匂ひを持つた話を書き度いと思つてメモしてして置いた草稿で、不満な点も多いし、それに各所の細部やダイアローグがまだ書いてない。ちやんと書き改めて発表すれは良いのですが、急な話で今その時間が有りませんので不本意ながら未完成のまま一応読んでいたゞきます。今後出来る丈け早く書き改めようと思ひます。特にもし誰かがこれを映画化して呉れる機会でも有つたら、その際ウンと補筆する予定です。(三好)
[#ここで字下げ終わり]



底本:「三好十郎の仕事 第一巻」學藝書林
   1968(昭和43)年7月1日第1刷発行
初出:「シナリオ文学全集四」
   1937(昭和12)12月
入力:伊藤時也
校正:及川 雅・伊藤時也
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※アキの有無、字下げ、仮名表記のばらつき、新字と旧字の混在は、底本どおりにしました。
※「〔〕」内は、底本編集部による注記です。「…カ」は、不確かな推測によるものをあらわしています。
2009年10月6日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネツトの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたつたのは、ボランティアの皆さんです。
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