に仕度金も持たせねえぢや、やれねえ、か。……小父さんは旧弊だからなあ。そりや、僕だつて月給まだいくらも取つてゐないから、さうして貰えばありがたいにはありがたいさ。スミちやんに直ぐに着物買つてやれる。でもそんな事どうでもいいんだけどなあ。しかし、まあいいや。ね、君あ明日発てばいい。ね、君が上野に着く時にはチヤンと迎ひに出てるよ」
「うん……」
「本当は僕が明日まで居れば一番いいけど、若しか本当にクビにでもされたら詰らないからね。無論電報打つて呉れた友達がフザけてあんな文句入れたんだけれどね……まアだからホンの二日だけ寂しいのを我慢してくれよ。ね、いいだらう?」
「ん……」
「ありがたう。君と僕とはまたいとこ[#「またいとこ」に傍点]で小さい頃から仲が好かつたな。ね! ねえ! さうだら……ねえ!」
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接吻か何かしたらしい。
(音楽に依るストレツス)
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「いやん! ウフン」
「だつて僕達はもう婚礼をしたんだから、夫婦なんだよ。ね?」
「ウフン……んでもおらあ途中がさむしいが! 汽車こ乗んの初めてだからなあ」
「なんでも無いさ。そら、君の分まで買つといたから、この切符で乗つて、黙つて坐つてればひとりでに東京に着く。乗合馬車に乗つて、次に軽便鉄道に乗つてさ、そいから此の切符で省線に乗り換へればいい。省線の駅迄は行つたことがあるだろ?」
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画面に入れてもよろし(切符を渡す花婿の手と、それを受取る花嫁の手)
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「うん、二度行つたことあら。……だども、汽車こ乗つてて、もしかしてズルコケて、落つこちたら、どうしべね?」
「そ、そんな、大丈夫だよ。寂しいだらうが、その代り東京に着いたらウーンと可愛がつてやるぜ。食べたいものでも見たい物でも、なんでも――」
「東京にはなんでもあんのけ?」
「あゝ、なんでもある」
「ぢや、おら、海つうもんば見てえ」
「ウミ? あゝ海か。あ、あるとも」
「水が一杯あつて、キリが無えつうのはホンマかえ?」
「うん、ホンマだよ、ホンマだ」
「海の色、青いの?」
「青い。青くつてキラキラして綺麗だよ。丁度よく晴れた空みたいだ」
「そんねえに、青い水一杯あれば、おつかないだろ?」
「おつかない? そんな事あない、見てゐると良い気持だ」
「へーん?」
「見ればわかるよ。見ればわかる。アハハハ」
花嫁も笑ふ。
「笑ふと、何て君は可愛くなるんだらう!」
「……そんねにキツクすると、息が苦しいが! やん!」
○それまで風景や桃の花ばかりを映してゐたカメラが不意に角度を変へたと思ふと、村はづれの峠の上、人の居ない立場茶屋の傍の、見事に咲いた桃の木の下に、並んで草むらにしやがんだスミと一六をキヤツチする。(UP[#「UP」は縦中横])
停つてゐる乗合馬車。
一六が桃の小枝を折り、スミの肩を抱くようにして、田舎島田に、カンザシに※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]してやる。
「やーい、やつとらあ! やつとらあ! スミ公! 一六! 一六勝負! 勝負はどつちだ、一六勝負!」
はやし立てる四五人の声。
びつくりして、声の方を見る一六とスミ。
「こらつ! なん奴ぢやつ!」彦之丞のドラ声。丁度一六のカバンを下げて坂を登つて来た彦之丞が峠に登り着いた姿が頭から肩、腰と見えて来る。まだ酔つてゐる。
「なん奴だつ!」
怒鳴られて、それまで人の姿の見えなかつた、直ぐ横ツチヨの草むらの中から少年少女が四五人、バラバラと飛出す。すべつたり転んだり、笑ひはやしながらにげて行く。彦之丞、手を振り上げて見送つてゐたが、直ぐに笑ひ出す。
「アツハハハハハ、阿呆め! おらがとこのスミと楠一六公はな――」
えらい上機嫌で言ひながら、二人に近附く。「天下晴れたる――」
「小父さん――」閉口してゐる一六。
きまり悪がつて袖で顔を蔽つてゐるスミ。
「アハハハ、楠一六公、バンザーイー」。その同じ大声で「おーい、まだ出ねえかあ?」
○「おいよう、出るぞう」立場茶屋の裏の辺から馭者の声。
続いてトテツテテテ……と響き渡るラツパの音。用便でもしてゐたのかノソノソ出て来る馭者。彦之丞同じ調子の上機嫌で、
「さあ乗れや一六! 大丈夫だよ! 花嫁さんは明日出立だ。軽便までは俺が送つて行くだ、心配すんな! さ、乗れよつ! (馭者に)おい馬造公、頼んだぞ、大事な婿ぢや!」
「あれま、さうかい! そいつは、めでてえ、アハハハ(スミを見て笑ひながら馭者台へ。スミ馬車の後ろに隠れる)アハハ。あゝよつ! 今日はまだ客がねえで、貸切り同様でえ! 殿様だよつ!」
「アハ
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