走つて来る彦之丞。

 馭者「さあ、彦さ、乗つた乗つた! 出るぞ」

 彦之丞、スミに豚代金廿円余を渡す。豚の値が下つたのを悲しみ憤慨しながら。且、仲買人には前に借金が有つたのを差し引かれたために金が少くなつてしまつたことを嘆きながら。――「あんにしても、貧乏百姓が一番つまらねえて! カスを掴むはいつでも百姓だ。孫子の代迄百姓なんぞさせるもんで無えつ!」

 馭者が怒つて怒鳴る。それでも彦之丞がスミに向つて道中の注意や一六によろしくだの何のとグズついてゐるので、馭者、彦之丞の襟がみを掴んで馬車の上に引つぱりあげてしまふ。
 窓から乗り出した酔つた父と、スミの別れ。

 馬車、動き出す。
 窓から区長の手がヌツと出て、竹の皮包みをスミに握らせる。「さあ、これやるだから、汽車ん中で食べな、御馳走だ」ゲー、ゲー、と言ふ声。

 彦之丞「身体を大事にするだぞーつ! しよつちゆう便りを呉れるだぞーつ! 途中気を附けなよつ!」云々と窓から突出した腕を振つて酔つた声で呼ぶ父を乗せて、馬車は町通りを元来た方へ。
 それを見送つてスミの打振る手には竹の皮包みがブラブラしてゐる。馬車が町の彼方に消える。スミの眼に涙。
 (伴奏音楽)
 ヒヨイと気が附くと、あたりは少し薄暗くなつてゐる。
 スミびつくりして待合室に入つて行く。

 待合室は既に電燈で明るい。
 既に改札口は開いてゐて、お若と土方を残して他の旅客は全部、軽便に乗り込んでしまつた後である。

 土方が腕を組んで立つたまま、お若の顔をヂツと見てゐる。
 お若も土方を見てゐる。
 土方「……そいで、あんた、ついて行くのかね?」
 お若「へえ、信太郎さには、別について行つてやる人居ねえので、私、どこまででも、ついて行つて――」
 土方「どうするんだ?」
 お若「どうするつて……とんかく見とゞけてあげるです」
 土方「……さうかい、ふん」

 スミの入つて来たのを二人見る。
 お若「あゝ、あんた、早くしねえと、もう出るが」
 スミ「へい、どうも、ありがたう」荷物を取る。

 土方はノツソリ歩き出して切符を買ひ、改札口を出て行く。スミとお若、出札口へ。
「あんた、銭無えのではねえの?」
「いえ、有る。軽便だけは乗つて行く積りで来ただから」
「おら買つてあげる」
「いえ、そいじやお気の毒だ、そんな――」
「すれば、汽車にも乗つて行けら」
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