ョット後姿を見送っていたが、直ぐに再び叩き棒を掴み、なんの事もなかったように、麦を叩きはじめる)
青年 ……(踊り跳ねるようにしながら走って行く少年を、いつまでも見送っている。やがて、百姓が麦を叩いていることに気付き、自分も再び棒をあげて、叩きはじめる……トントントンと、二人が交互に拍子をとって叩く音。双方黙ったまま、かなり永い間叩き続ける。……その内に、はじめそれと気が附かぬ位に低く、次第にハッキリと聞きとれる程に高くなって、百姓がフンフンフンと鼻歌を歌っているのが聞こえる。……青年、それに気が附き叩く手を休めて、百姓を見ている……間)
百姓 ……(叩き終り、散り拡がった麦を両手で掻き集め、ムシロの端を掴んで盛り上げる。その間も無心に歌う鼻歌の声。……青年は、相手の歌をやめさせぬために、声をかけるのも、動くのも控へて、此方でジッと[#「ジッと」は底本では「ヂッと」]立ったままでいる。……百性は麦を盛り上げ終り)さて、と……(風に当ててふるうために、ムシロの隅の箕を取ろうとして、その尻にのせてある縫針の包と糸に気附き)ふん……(中年男と若い女の立去った方を振返って見た上で、二つを取り上げ、まじめな顔でそれらをユックリと見、しらべた上で、大事そうに帯の間にしまい込む)
青年 ……(百姓のユックリした動作を見守っていたが、フト顔色を動かし、胸のポケットから裁縫道具の皮ケースを取り出す)……おばあさん、これもあげます。
百姓 む?……そりゃ、さっきの?……俺に、くれるだと?(びっくりしている)
青年 (ケースを百姓の手の上にのせて)おばあさん使って下さい。
百姓 だども……へえ……こんなみごとなものを、俺が貰うなんて、へえ、とんでも無え!……第一、そんな、わけが無えだから――
青年 いいんです!(押返すのを無理に握らせる)貰って下さい。……わけは無い事は無いんです。(微笑)……実は、休暇をいただいて、東京に出ても、親戚がチョットと友達が一人二人あるきりで、親も兄弟も無し……急に、母の亡くなった所に来て見る気になりました。……子供らしいと人が聞くと笑うでしょうが……笑われても、いいんです。無性に、ただ母の事を思い出して、もう一度、最後に――いえ、――とにかく、そんな気で山を越えながらも、なにか、甘えているような……そいで、あなたに逢った。……母が私を此処に連れて来て、あなたに引合わせてくれた……そう言ったような……なにか、これでいいと言う気がしました。
百姓 さうかえ……うむ……おふくろさんを、そんなに、なあ……(もう涙ぐんでいる。涙でケースがよく見えないので指で眼尻を拭く)
青年 (微笑)それから、なんだか、ひどく安心しました。……帝国、万才だと思いました。……実は、その道具は、母が自分の父の所にかたづいて[#「かたづいて」は底本では「かたずいて」]来る時に、母の母が――つまり私のおばあさんが、母に買ってくれたものだそうで、母は大事にしていましたが、自分が最後に富士見に見舞いに来た時に、呉れました。……だいぶ役に立ちましたが、……今度船に乗れば、多分、もう要らんだろう――いえ、持っていて、なくしても詰らないですから、おばあさんにあげるんです。チットも遠慮はいりませんから――
百姓 ……名前は何と言いやす?
青年 自分は藤堂と言います。
百姓 おふくろさんはえ?
青年 ……母はフサと言いました。
百姓 おフサさんかえ……ふむ……(マジマジとケースを見ている)見たからず……なんぼう、そんなに大きくなったお前さまを、おフサさん、見たからず。……へえ、母親の気持なんてもんは、どこの母親でも、同じだ。……いくつになっても……もうへえ、死んじまってからだっても……子供が学校に初めてあがった頃、学校へ行く子を門口から見ていてやるからと言って、小さくなるまで見送った、その姿あ、忘れねえもんだ。……ハハ(と涙をこぼしている自分を軽く笑い消して)いただいときやんしょう。そんなわけの物なら、尚の事、大事にして。(掌の上のケースを額につけて、いただき、叮嚀に懐中へ)
青年 (頭を下げて)いやあ、そんなに大事にして下さらなくても、いいんですよ、ハハハハ……その代り――と言っちゃ、なんですが、お願いがあります。
百姓 あんだえ?
青年 この麦を少しばかり、下さい。
百姓 麦かえ? お安い御用だ、いくらでも持って行きなせ。さあさ、(こごんで両掌で麦粒をすくって出す)
青年 ……(ハンカチを出して、麦を受ける)
百姓 もっと――
青年 いえ、これでたくさんです。(叮嚀にハンカチをむすぶ)
百姓 それんばっち、どうしやす? 第一、このままで、食えはしねえが。
青年 いいんです。ハハハ、……船で今度ガダルカナル辺へ行ったら、こいつを出して見ようと思います。(胸のポケットに入れる)
百姓 ガダ、ガダルカ?(まだ言いにくそうである)あんだえ?
青年 ハハハハハ。……おばあさん、自分が歌を歌います。おばあさんの歌を聞かせて貰ったお礼に。
百姓 俺が歌――?
青年 いえ、先刻聞きました。約束ですから……下手ですが……(ニコニコしながら、草の上にアグラをかいて、上体を真直ぐに伸ばし、頭を昂然と上げ、両膝に両手をチャンと置いて、なにものとも知れず、正面はるかな所へ、キチンと一つ頭を下げる。しばらくそうしていてから、頭を上げるや、いきなり、器量一杯の声で歌い出す)
花の花とも、言うべき花は
わが日の本の桜花
散れよ朝陽に、匂いつつ(白頭山節)
百姓……(口を開けて聞きすましていたが)やれ、うめえもんだなあ! へえ、よ! なんつう歌だ、そりゃ!
青年 ハハハ、これ位しか歌えません。ハハ……それでは、もう時間が有りませんから、これで失礼します。どうか、おばあさん、お大事に。
百姓 やれまあ、そうかえ。……なんだか、へえ、おなごれ惜しいみてえだ……じゃあま、お前さまもお大事にな。
青年 (リュックサックの[#「リュックサックの」は底本では「リユックサックの」]口を締めながら)多分もう……この辺に来る事もないでしょうが、……おばあさんの事は忘れません。……それから道雄さんと言う人の事も憶えて置きます、……では、これで、……(靴のかがとを揃え、ピシッと不動の姿勢、帽子を脱いでキチンと頭を下げる)
百姓 (相手の様子にびっくりしている)
青年 ……(漸く頭を上げて)海軍中尉、藤堂正男と申します。……ありがとうございました。……(リュックを肩にピッケルを取る)
百姓 ……(それをジッと見守っていたが、やがて)お前さま、海軍さんかえ?
青年 はあ……いや……ハハハハ。では――
百姓 そうかえ! そりゃ、んだが……そんじゃ、ま、……ふむ……(何か言おうにも、急には、うまい言葉が出て来ないのに、相手は、もう、下手の小径へ歩き出している。それを追いかけるように、ヨタヨタと一二歩前へ行き、口をモガモガさせたり両手を上げたり下げたりしていたが、トッサにはどんな表現も有り得ようがなく、いきなり、その黒い大きな両掌を合せる)……へえ……じゃ、ま……よろしく頼みやす。
青年 (振返って、それを見て、テレて頭を掻きながら、ニコニコして)おばあさんも、よろしく頼みますよ。……此方ですね、道は?
百姓 それだ、それだ。……それズーッと[#「ズーッと」は底本では「ズーツと」]行って……よしよし、俺が此処に立って見ててやらず。ああ、それズンズン行って、運送道へ出たら、林道を右へ――曲って、(言っている間に青年の姿は見えなくなる。……間……遠くから青年が何か手真似をするらしい。それに答えて、大きくうなずきながら[#「うなずきながら」は底本では「うなづきながら」]、手を振り、叫ぶ)ああ、そっちだそっちだ! それを、まっつぐに行くだあ! 気を附けてな! ……(立ちつくしている。既に青年の姿は小さくなって、消えて見えなくなったらしい)
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(……間……やがて、彼女は、ムシロの上にかがみ込み、麦をすくい込んであった箕を肩の所まで持ち上げ、吹いて来る微風を斜めに受けるようにして、箕を静かに傾けて、麦を少しずつ[#「少しずつ」は底本では「少しづつ」]こぼして行く。風で麦をふるい分けるのである。……ふるいながら、青年の去った方を見返ったりしながらも、既に、労働の平常の姿になっている)
(……奥の谷の方から、気の遠くなるように流れて来る山鳩の鳴声)
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ](幕)
底本:「三好十郎の仕事 第二巻」學藝書林
1968(昭和43)年8月10日第1刷発行
初出:「日本演劇」
1944(昭和19)年3月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※「ずら」と「づら」は底本通りにしました。
入力:伊藤時也
校正:及川 雅・伊藤時也
2009年6月7日作成
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