、まあ……すみませんでした。チョット道を聞こうと思って――。(胸のポケットから折畳んだ地図を出す)
百姓 はい。……(りちぎに相手の言葉を待っている)
青年 小海線と言うんですか……此の地図にゃ載ってないんで……野辺山という駅まで、まだよっぽどありますか?
百姓 野辺山なら、もう、へえ、訳あ無え。此処から一里に少し欠ける――ユックリ行っても、さようさ、あんたらの足なら、一時間というとこだらず。
青年 そうですか。で、道はやっぱり、これを行きゃあ――?
百姓 うむ、どっちへ行っても行ける。この辺の道なんぞ、有るような無いようなもんで、下手をすると甲州へ出やすよ。
青年 そうか、そいつはどうも――。なんしろ昨日から人っ子一人逢わないもんですからね、道を聞こうにも――どっちの方角ですか?
百姓 ……お前さま、全体どっちからおいでなすった?
青年 こっちから来たんですけど――(自分の歩いて来た小径の方を指す)
百姓 んだから、どっから来なすった――?
青年 はあ東京……横須賀から、東京へ寄って、そして――。
百姓 んだからさ、どこを歩いて――?
青年 (相手の言う意味がやっと掴めて)はあ、自分は、八ヶ岳を越えて――。
百姓 そうかい。それじゃ、海の口の牧場を通って来なすったずら?
青年 さあ、よくわかりませんが、……あれが牧場だったんですか? 柵で囲んだ所を通りました。
百姓 そうかい。……そうよ、野辺山なら、この草ん中あドンドン此の方角へ行きやすとな、いろいろ小径が有るがそんなもんに目をくれずとな、真直ぐに七八丁行くと、営林区の林道に突き当るから……林道と言っても草の生えた、そうよ、唐松の林を二間幅ぐれえに一直線に切り倒したとこだあ、それを左へ行くと直きに運送の道路に出るだから、それに附いてドンドン行くと、県道になるからな、それを右へ取って行くとひとりでに野辺山の駅だ。
青年 ……七八丁行って、林道に出て、左へ曲って運送の……(と道筋を頭に入れながら)運送と言うと?
百姓 牛に引かせる荷車だよ。そいつの通る路ですよ。輪の跡がグッとへこんでるから、直きにわかる。
青年 (うなずいて)それを行って、県道に出る。右へ取って――わかりました。ありがとう。一時間か……(腕時計を見て)たしか十五時の上りが有りましたねえ?
百姓 十五時と――?
青年 ……三時何分かの小淵沢行き――?
百姓 うむ、小淵沢なら一時半と、その次ぎは三時だ(語りながらも、ムシロをチャンと引っぱったり、千歯を据え直したりしている)
青年 そうか。……(ホッとするが、尚もう一度たしかめるため、ポケットから時間表を出して時間を繰っている)
百姓 東京へ行くんだら、なんでも、その次ぎの六時ので行っても、レンラクは有ると聞いたがなあ。(麦こきの仕度が出来て、一息入れるために笠をとる)
青年 なに、東京へチョット寄って、今夜中に横須賀へ出なくちゃならんもんだから。……ええと十九時……よしと。ハハ、なんしろ道に迷ったんじゃないかと思ったもんだから……しかし、こうなると却って時間が余ってしまった。――(言いながら頭を上げて相手を見て、びっくりして言葉を切る。時間表を調べている間に笠をぬぎ頬かむりを取ったのを見ると、殆ど白髪になった頭髪に小さく結った髷が現われる。しわが寄り、陽に焼けて、眼つきのおだやかな、とぼけたような感じの老媼の顔。先程平手でこすった時に附いた土が鼻のあたりに鬚のように残っている)
百姓 さようさ……(額に掌を当てて少し傾いた太陽を見上げ、次ぎに、ぬいだ手拭で顔を拭きなどして)今から三時の上りに乗るんでは、いくらユックリ歩いてっても、だいぶ間があらあ。……(相手がマジマジ見ていることなどにとんちゃくなく、拭き終った手拭いを今度は姉さまかぶりにして、さあてと言った顔になり、黒い両手にペッペッとつばきをくれて、麦束の方へ)
青年 ……(フッと笑えて来る)
百姓 んだが、この辺じゃ、別に見るようなとこも無え。あっちを見ても此方を見ても、へえ、唐松林と山ばっかりでな、(麦束を取って、片足でシッカリと千歯の踏板を踏んで、麦の穂をこき落しはじめる)
青年 はあ、……(おかしさが止らず、声を出してクスクス笑う)……
百姓 珍らしいもんなんぞ、何一つ無えづら。この信濃なんという国は、へえ、昔っから山ばっかりだ。飽きもしねえで、じょうぶ、山ばっかり拵えたもんだ。(ブリブリと音させて麦をこいで行く)
青年 ハッ、ハハ、ハハ、
百姓 (青年の笑い声で、その方を見る)……?(相手が自分の顔ばかり見ているので、顔に何か附いてでもいるかと思い片掌でツルリと顔を撫でる。すると又眼のあたりに泥が附く)
青年 いやいや……ハハ、ハ……
百姓 なんでやす?
青年 ……そう言えば、声は女の人のようなんで、
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