笑い出し)ハハハなにね、此処のばさまは、物見に出歩くじゃ無し、三百六十五日、野良着で働くだけで、食うものにも着るものにも、まるっきり慾はなしね。野良さえ稼いでれば、金え溜めても仕方がねえと言った仁でさ。ただ、ボロッ着物や袋なぞのツクロイ仕事をするだけが、じょうぶ好きでね、雨や雪で、野良へ出られねえ日は、ヒジロんとこで、ボロ縫う、そんだけが道楽だ。だもんで、縫針や糸やなんぞにゃ、まるきし、目がねえ。まるで、へえ、女の子みてえに、針や糸ほしがる。そんでね、村の者あ、ばさまの所に来る時あ、針や糸持って来ちゃ、帰る時にこうして、置いて行きやす。(言いながら、自分の持って来た糸と若い女の針の包みとを、千歯のそばに置いてある箕の尻の出っぱりの上に置く)
女 (微笑)……いつか、おばさん、なにか、是非して見たい事はねえかって、聞いたらば、そう言ったですよ……スフやなんかで無え、丈夫な、そして白だの黒だの赤だの青だの、いろんな色の糸どっさりそろえて、思い入れ、ボロ縫って見たら、良え心持だらず――
中年 ハッハハハ。
青年 (これも笑いながら)……すると、先刻、この(と胸のポケットにチョット触って)裁縫の道具のことも――?
中年 そうだそうだ! ばさま、ヨダレを垂らしていたづら! アッハハハ。
女 ……(はじめて声をだして笑う)
青年 ハハ……(これも釣られて笑うが、しかし直ぐに笑いやむ。笑うには余りに深い所で打たれている)
中年 猫にカツオ節の候であらすか! アッハハハ、ハハッハハ。
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(そこへ、上手のカシバミの叢を分けて、片手にヤカンを下げた百姓が、相変らずのヒョタヒョタしたような歩きつきで戻って来る。以前と少しも変らないニッタリとした瓢々とした顔と態度である――これは最後まで変らない)
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百姓 (中年男に)あんだえ?……(寄って来て)なんの話だ?
中年 ハッハハ、猫にカツオ節の話だあ。ハハハ。
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(若い女もクスクス笑う)
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百姓 カツオ節か、ふむ……(笑おうとはしない。ヤカンを青年に渡す)へい。
青年 どうも、すみませんでした。(百姓が戻って来てから彼女の顔ばかり見守っている)
百姓 なんなら、そこいらで火い燃して、わかして飲みなせえ。
青年 はあ、いや、これで結構です。
百姓 (青年がまるで自分の顔から何かを捜しでもするように見詰めているので)……どうか、しやしたかい?
青年 いや……
百姓 ……ふう……シゲ、お前、わかしてやれ。(言いながら千歯の方へ)
女 へえ……(そこらに落ち散っている小枝を掻き集めにかかる)
百姓 ……(自然な動作で、麦束を中年男から受取って、こき始める。中年男は傍にどいて、立ったまま彼女を見ている。青年も彼女の方を見守っている。その二人の視線の中で、黙ったまま一束をこき終り、二束目をこき、こき終った穂先きに、こき残りの穂が無いかと調べながら、ヒョイと声を出す)……へえ、喜十は甲府へ出たら、よくねえづら。
中年 そりゃ、はじめから、わかっていやす。そいつを、しかし、喜十がどうしても聞かねえから――
百姓 (相手の言うことを聞いているのか聞いていないのか、こき残りの穂を指でむしり落しながら)板橋にゃ、総体で七八町歩しきゃ水田は無えだ。そん中から二段歩も荒してしまうことになると、ことだあ。……甲府は甲府でやって行きゃ、ええ。なんなら、甲府を引払って喜十がどこへ皆で来るだ。
中年 そいつがさ、そいつが……そりゃ、はじめっから、わかってやす。それを承知で、どうでも行くと言って聞かねえんだから、組内でも、へえ、どうにもこうにもアグネ切って――
百姓 国三さ……米あ今、一粒でも二粒でも、よけいに作らざならねえづら?
中年 そ、そりゃ、この際じゃから、勿論――
百姓 虫のせいやカンのせいでは、無えづら。ウヌが儲けようと言うでも無え。
中年 勿論そりゃ、お国で、どうしても要るだから――
百姓 そうづら? そんだら話あ、わかってら。
中年 それがさ、喜十が、あんとしても――
百姓 ハハ、喜十がとこへは、今晩、俺が行くべし。
中年 へえ! ばさま行ってくれるかえ? そうか、そうして貰えりゃ、もうへえ……こんなありがてえ事あ無え。そうかい、そんじゃ、そんな風に頼んます。へえ、そうしてくれれば――
百姓 どうでも苦しいと言うんだら、須山さんの旦那のとこ俺が出向いて、年貢を二三年まけてくれるように頼んで見るべ。
中年 そりゃ……へえ、それだと部落会の方からも俺達一緒に行ってもようがす。旦那の方でそれ聞いてくれ、喜十も考え直すことになりゃ、あっちもこっちも丸く行かあ。
百姓 もし、へえ、どうしても、喜十も聞かねえ、旦那も聞かねえとなったら、あのタンボ
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