に御住居なすったのですのに、どういう訳か私のあたまには夏から秋まで同居なすった正岡先生の方がはっきりうつっています。――松山のかただという親しみもしらずしらずあったのでしょうが――夏目先生の事はただかあいがっていただいたようだ位しきゃ思い出せません。照葉《てりは》狂言にも度々《たびたび》おともしましたが、それもやっぱり正岡先生の方はおめし物から帽子まで覚えていますのに(うす色のネルに白|縮緬《ちりめん》のへこ帯、ヘルメット帽)夏目先生の方ははっきりしないんです。ただ一度伯母が袷《あわせ》と羽織を見たててさし上げたのは覚えています。それと一度夜二階へお邪魔をしていて、眠くなって母家へ帰ろうとしますと、廊下におばけが出るよとおどかされた事とです。それからも一つはお嫁さん探しを覚えています。先生はたぶん戯談《じょうだん》でおっしゃったのでしょうが祖母や伯母は一生懸命になって探していたようです。そのうち東京でおきまりになったのが今の奥様なんでしょう。私は伯母がそっと見せてくれた高島田にお振袖《ふりそで》のお見合のお写真をはじめて千駄木のお邸で奥様におめにかかった時思い出しました。
 実は千駄木
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