の句の上に無造作に○がついたり直《ちょく》が這入ったりするのを一層不思議そうな眼でながめていたに相違ない。
「子規という男は何でも自分が先生のような積りで居る男であった。俳句を見せると直ぐそれを直したり圏点をつけたりする。それはいいにしたところで僕が漢詩を作って見せたところが、直ぐまた筆をとってそれを直したり、圏点をつけたりして返した。それで今度は英文を綴って見せたところが、奴さんこれだけは仕方がないものだから Very good と書いて返した。」と言ってその後よく人に話して笑っていた。
 後年になって漱石氏の鋭い方面はその鋒先《ほこさき》をだんだんと嚢《ふくろ》の外に表わし始めたが、その頃の――殊に若年であった私の目に映じた――漱石氏は非常に温厚な紳士的態度の長者らしい風格の人のように思われた。自然子規居士の親分気質な動作に対しても別に反抗するような態度もなく、俳句の如きは愛松、極堂、霽月らの諸君に伍《ご》して子規居士の傘下《さんか》に集まった一人として別に意に介する所もなかったのであろう。のみならず、この病友をいつくしみ憐れむような友情と、その親分然たる態度に七分の同感と三分の滑
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