は保存することをしないけれども、十年前頃までは先輩の手紙の大方保存しておいた。それは一纏《ひとまと》めになって古い行李《こうり》の中に納められてある。今度漱石氏が亡くなったのに就いて家人の手によって選り出されたものが即ち座右にあるところの数十通の手紙である。まだ年月の順序でそれを排列することもしないでいるのであるが、ちょっと手にとってみたところでは大方漱石氏が「猫」を書くようになってから以来一両年間の手紙で、それ以前の手紙は極めて少いようである。そうして漱石氏が朝日新聞に入社してその紙上以外に筆を執らぬようになってから後はまた著しくその数を減じている。
私が漱石氏に就いての一番古い記憶はその大学の帽子を被《かぶ》っている姿である。時は明治二十四、五年の頃で、場所は松山の中の川に沿うた古い家《うち》の一室である。それは或る年の春休みか夏休みかに子規|居士《こじ》が帰省していた時のことで、その席上には和服姿の居士と大学の制服の膝をキチンと折って坐った若い人と、居士の母堂と私とがあった。母堂の手によって、松山鮓《まつやまずし》とよばれているところの五目鮓が拵《こしら》えられてその大学生と居
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