記憶には残って居らぬ。ただ艶々《つやつや》しく丸髷《まるまげ》を結《い》った年増《としま》の上《かみ》さんが出て来て茶を入れたことだけは記憶して居る。
この古道具屋の居たという家は私にも縁のある家で、それから何年か後にその家や地面が久松家の所有になり、久松家の用人をしていた私の長兄が留守番|旁々《かたがた》其所《そこ》に住まうようになって、私は帰省する度《たび》にいつもそこに寐泊りをした。即ち漱石氏の仮寓していた二階に私はいつも寐泊りしたのであった。それから私の兄が久松家の用人をやめて自分の家に戻って後、そこには藤野|古白《こはく》の老父君であった藤野|漸《すすむ》翁が久松家の用人として住まっていた。大正三年の五月に私は宝生新《ほうしょうしん》氏(漱石氏の謡の師匠)や、河東碧梧桐《かわひがしへきごとう》君や、次兄|池内信嘉《いけのうちのぶよし》やなどと共に松山に帰省したことがあった。それは池内の企《くわだて》で松山で能を催すことになって一同打連れだって帰省したのであったが、その時宝生氏を始め一同は藤野氏の所に集って申合わせをした。もっともそれは例の二階建の小さい家の方ではなくって、久松家の所有になってから直ぐその家に隣ってやや広い座敷が二間ばかりある時々の集会などに用うる一棟の別座敷が作られた、その方に集って申合せをしたのであった。その申合せをして居る時に、藤野氏の家人の声がして、
「今一人の書生さんが見えて、夏目さんがどうとか仰しゃるのですが……」とその意味を解しかねたように言った。藤野翁はそれに答えて、
「それは何か間違であろう、河東さんや高浜さんはおいでになって居るが、夏目さんはおいでになっていない、とそう返事をおし。」と言った。一座の人は皆黙々として思いもよらぬその話にあまり意をとめなかったようであったが、私は二十年前のことがたちまち頭に閃《ひらめ》いて、
「それは夏目君が以前この家に居たことがあった、ということに就いて何か訊《き》きに来たのであろう。」と言った。
「夏目君がここにいたとは?」と藤野翁は私の顔をいぶかしそうに見た。その他の人も皆不思議そうに私の顔を見た。そこで私は、
「とにかくその書生さんに会って見ましょう。」と藤野氏の家人に言って、下駄を突っかけて表に出て見た。そこには大学の制帽を被った一人の書生さんが突っ立っていた。
「どういう御用です
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