たのである。道灌山以来は「虚子は小生の相続者にもあらず小生は自ら許したるが如く虚子の案内者にもあらず」と飄亭に贈った手紙にある如く、居士は忠告の権利を放棄したように言明しているのであるが、それにかかわらず爾後もなお何かにつけて社会的の忠告を余に試みて、余をして居士の手紙を見るたびに、顔を見るたびに、一種の圧迫を感ぜしめるまでに至ったのであるが、それが一旦その点の問題を離れて、居士と何らの利害関係なきただ一個の人間として余を見た場合にはまた別個の消息があったのである。この手紙に在る如く、医師から結核性脊髄炎といういよいよ前途の短い病であることを宣告された時に居士の頭には例の社会的の野心問題が頭を擡《もた》げて一時は烈しい精神の昂奮を感じたのであるが、それを忘れるがために何物かを探した時、そこにいわゆる「平凡なる趣向、卑猥なる人物、浅薄なる恋」を描いた余の作物に接して、居士の心はかえって何物かに救われたような慰安を感じたものと見える。余は先に道灌山以来、どうすることも出来ぬある物が常に両者の間に存在していたと言ったが、それにかかわらずまた居士と余との間には終始変らぬある感情上の領会が恒久に
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