たる後これを抛棄《ほうき》せり。
何か面白くてたまらん一切の事物を忘れてしまうようなもの欲しと思えり。たちまち思い出でしことあり。枕頭を探りて反古堆中《ほごたいちゅう》より『菜花集《さいかしゅう》』を探り出《いだ》して「糊細工《のりざいく》」を読み初めぬ。面白し面白し。覚えず一声を出してホホと笑いたる所さえあり。この笑いほど僕を慰めたる笑いはなかりしなり。たちまちにして読み畢《おわ》りぬ。余音|嫋々《じょうじょう》として絶えざるの感あり。天ッ晴れ傑作なり貴兄集中の第一等なりと感じぬ。この平凡なる趣向、卑猥《ひわい》なる人物、浅薄なる恋が何故に面白きか殆ど解すべからず。されど僕はたしかにかく感じたり。
けだし僕が批評眼以外の眼を以て小説を見しこと『八犬伝』、『小三金五郎』以後今度がはじめてなり。小説が人間に必要なりとは常に理論の上よりしか言えり。その利益を直ちに感受したる今度がはじめてなり。
小説を読み畢りて今朝の僕は再び現われ来れり。この書面を認めて全く昨日の僕にかえりぬ。あら笑止。
僕もしこの間の消息を取って小説の材料となすを得ば僕に取りてこの上もなきめでたき事なり。僕これを得記さざるも貴兄これを用い給わばこれもめでたき事なり。
右等の事総て俗人に言うなかれ。天機|漏洩《ろうえい》の恐れあり。あなかしこ。明治二十九年三月十七日。病子規。虚子兄几下。」
[#ここで字下げ終わり]
『菜花集』というのは碧梧桐君などと共に拵《こしら》えた小説の回覧集であったのである。「糊細工」というのは即ち余のそれに載せた小説で、ある一小事件をスケッチしたものであった。写生文という名はまだ一、二年後の明治三十一年頃になって起ったのであるが、此の「糊細工」なども何の趣向もなく、また何の憚《はばか》るところもなく、事実をそのままに写生したもので即ち後年の写生文の濫觴《らんしょう》であったのである。居士が此の文章を見てホホと笑を洩らしたという処に居士の余に対するある消息は明白に読まれ得るのである。今日でも余は殆ど余の感情の赴くままに行動しつつあるのであるが、当時に在っては今日以上の極端であった。一旦《いったん》居士が余を以て居士の後継者と目するか、よし後継者と目さぬまでも社会的に成功させようという老婆親切を以て見た時には徹頭徹尾当時の余は歯痒《はがゆ》いまでに意思薄弱の一青年であっ
前へ
次へ
全54ページ中32ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高浜 虚子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング