を尽した手文庫とか茶器とかいうものを座右に備えて、これ等の文明を誇りがに眺めつつあったものであろう。
 古き時代の人が持つ誇りは近代人が持つ誇りであり又後代の人が持つ誇りであらねばならぬ。
 生滅々為して地上に栖息《せいそく》している人の記録は昔と今と余り変りが無いともいえる。今行幸道路を隔てて見ゆる海上ビルデングのあたりには松平[#「松平」は底本では「松本」]豊前《ぶぜん》が住まっていた。(嘉永年間)今海上ビルデングのあらゆる部屋にある文明と松平豊前の奥殿に籠っていた文明とを比べたらばどちらに軍配が上るかわからない。
 鰻丼《うなどん》が出来て来た。
      *     *     *
 薄紅梅が一輪散った。



底本:「大東京繁昌記」毎日新聞社
   1999(平成11)年5月15日
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年12月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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