来るようになるかもしれぬ。」
「そうです。」とその男も微笑した。
 そんな話をしているうちに食堂は人で一杯になった。その食堂の一テーブルはこんな惜別のまどいが比較的長く占領していた。

    其所《そこ》らあたりを

 或日の午後二時半頃から一時間ばかりのひまを得て、丸ビルを出てそこらあたりを歩いて見た。先ず東京駅降車口前に行く。ここに朝のうちは沢山に列を作って客待をしている自動車――ちょっと見ると百台近くもあろうかと思われる――も、今は三分の一位に減っている。
 そこに一つの銅像が立っている。正二位勲一等井上勝君像とある。この人はわが国鉄道の初めの長官で創始時代の功労者と聞いている。その銅像の後は広い空地になっている。すでに数年前からここは鉄道省の敷地にきまっていると聞いているが、予算の関係でいつ建つかわからぬらしい。東京駅外が落寞《らくばく》としているのもこれ等が重な原因である。
 それから永楽町の電車停留場の方へ行くと、左側のバラックには何とか活動写真株式会社とあって派手な絵看板が沢山掛け連《つら》ねてある。同じ棟の半分を占めている東京何々株式会社という前までその絵看板が連なっている。その前を自動車や電車が絶えず通るので、往来を通る人もせわしなくあぶなっかしく、余りそれ等に目をとめないが、よく見ると随分俗悪な派手な絵が掛け連ねてある。
 又その何々株式会社とある建物の一室に何とか理髪店というのが割拠《かっきょ》している。又「何とか食堂、グリルルーム」というのがある。
 それから反対の側の鉄道の下のガードには、その中に巣くうている店がある。之は浅草の仲見世の売店の下等のようなものである。洋品店、床屋、鮓店《すしてん》、天丼店、そば屋などが十四軒並んでいる。喫茶店と書籍店とが同居しているのもある。
 ここを通った時の感じは場末の盛り場といった感じである。東京の正門を出る二、三十歩で忽《たちま》ち場末の盛り場があるという事は一寸《ちょっと》珍しい現象である。
 それから丸の内ホテルの前あたりで電車道を横切って、朝鮮銀行の横手をはいると、総《すべ》てこの辺は震火に逢って見るもいたましいバラック建である。偶《たま》に大きな煉瓦建があると見ると、煉瓦の間にはさまれた石が火に焼けて無残に欠け落ちたままになっている。それ等の建物にも人が住んで仕事をしている。
 バラック建の
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