報知の自動車が翌日の新聞を満載して社の中から出て来る事である。各階のどの窓にも電灯が明るくともってその中には人の活動している様が想像される。それをうかうか眺めながら通っていると、警笛を鳴らして忽ち自動車が家の中から現れて来る。それが往来に来たと思うとまっしぐらに走り去る。その自動車に驚いて飛びのくと、今度は人を乗せた自動車が一方からやみを突いて来る。そのやみの中に立っている私は魂をひやしてまた片方に飛びのく。その後ろからも後ろからも自動車が来る。いずれも全速力で来る。夜ふけたこの辺は昼間の雑踏の時よりもなか/\に肝を冷やす事が多い。
 その路傍の暗い所に薄暗い灯をともした支那そばの店がある。其店は荷車の上にこしらえられたもので、のれんが垂れ下っている。中に二、三人首を突っ込んでいる。暖かそうな湯気の中にその横顔が見える。
 有楽町駅の這入《はい》り口《ぐち》にも小さい店のおでんやがある。そこにも又二、三人の人が暖かそうにおでんを食べている。
 有楽町駅に上って眺めると、帝劇の屋根の上には電灯が沢山にともっていて、そこが歓楽の境であることを思わしめる。震災後屋根の上の翁の像が除かれて、特に帝劇という異色を認むるものがなくなったが、夜になると、この電灯が沢山ともっているという事だけでも、せめてそこが劇場であることを思わしめるに足る。
 今まで見て居った芝居の事を思うて見るが、何も頭に残って居らぬ。ただ眼が疲労を感じて痛むばかりである。
 今から一五、六年前に帝劇が工事を起して、鉄をたたく鎚の音が盛んに響いている時分、私は或人に案内せられてその中にはいって見た。あぶない足場を渡りながら、およそこれが舞台、これが楽屋という説明を聞いた。そうしてそこを出てすぐ隣の女優養成所にも案内せられた。そこで女優の舞踊や芝居のおさらえを見た。森律子、村田嘉久子、初瀬浪子、河村菊江、鈴木徳子などという名を覚えた。それらの人々は何れもまだ二十歳ばかりの娘盛りであった。
 それから森律子は同郷の森肇氏の令嬢というので、二、三度逢った。それに鈴木徳子には私の友人が知り合いであったので二、三度引き逢わされた。
 帝劇の工事が竣成して花々しく開場した時には私も賓客の一人として招待された。赤いじゅうたんをしき詰めた階段の上を皆が恐る恐る踏んだ。中に物なれた素振りで平気で闊歩するらしく見える人もひそかに
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