をまじえて、笑いもせずにいっている。そのあいての顔から視線をはずしているのに、口から鼻のまわりへかけてゆれうごくものが、三吉の頭の中にある彼女の幻影を、むざんにうちくだいてゆくのが、ありありとわかった。
「貴女《あなた》のうちは遠くて、通いがたいへんでしょう」
彼女の幻影をとりとめようとして、三吉がそんなことをいった。いいながら案外平気でいっている自分を淋《さび》しく感じている。
「ええ、でも田甫《たんぼ》道あるいていると、作歌ができまして――」
「サクカ?」
気がつくと、彼女は弁当づつみのあいだにうすっぺらな雑誌をいれていた。彼女のある期待が、歌などよくわからない三吉にその雑誌をひろげてみねば悪いようにさせた。そして雑誌をめくりながら、彼女の歌がどれであるかなど、心にとめることも出来ず、相手にひったくられるまで、ボンヤリとそこらに眼をおいていた。
「――サンポなさいません?」
三吉たちの生活にはないそんな文句をいわれて、あわててたちあがったとき、もうとり戻しが出来ぬほど遠いうしろに自分がいることを、三吉は感じずにいられなかった。桜並木の小径《こみち》をくだって、練兵場のやぶかげの近道を、いつも彼女が帰ってゆく土堤《どて》上の道にでると、もう夕映えも消えた稲田甫の遠くは紫色にもやっていた。
「あなた、いつもここを、あの、いらっしゃったでしょ」
例の、肩をぶっつけるようにして、それから前こごみに彼女は笑いこけた。
「ええ」
と、こたえながら、三吉はほんとに呆然《ぼうぜん》としている自分をみた。これはいったいどういうことなのか――前こごみになっている彼女の肩や、紅と紫の合せ帯をしている腰のへん――もうそこにはきのうまでの幻影はかげを消していた。いつもそこで岐《わか》れ道になっている田甫のあいだにはおりてゆかないで、彼女はきづかぬ風に、土堤道をさきへ歩いてゆく。そのへんからは土堤の左右に杉の古木が並木になり、上熊本駅へゆく間道で、男女の逢引《あいびき》の場所として、土地でも知られているところだったが、三吉にはもはやおっくうであった。
「あの、深水さんがね、貴方《あなた》のことを――」
夕闇《ゆうやみ》の底に、かえってくっきりとみえる野菊の一《ひ》とむらがあるところで、彼女はしゃがんでそれをつみとりながら、顔をあおのけていった。
「――青井は未来の代議士だって、
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