船の來航は繁くなつてをるし、必要になつてゐるからである。
 かくして昌造は横文字を習ひ、通詞たるべき資格を養ひつつあつたが、ではそれは同時に「洋學者」でもあつただらうか? 私はいままで通詞と洋學者を一緒にしてきたやうである。なるほど長崎における和蘭通詞と蘭學の發達は切つても切れない關係がある。事實、それは日本における洋學に貢獻したし、醫術における楢林流、吉雄流を出し、天文において本木、志筑の諸家があり、砲術における高島、本草學における吉雄、その他、殊に語學においては職業柄多くの先驅的學者を出してゐる。しかし、通詞は、幕臣、藩臣、或は町人出の所謂「蘭學者」と同じ性質のものであつたらうか?
 通詞とはまことに特殊な職業であつた。私の貧しい知識でいつても、ごく稀な場合「幕府譯官」などと敬稱されるが、普通には「長崎通辯何の何兵衞」といつた卑しい言葉で、そこらの輕輩武士からも捨言葉される傾きがあつたやうだ。例へばのちにみるやうに、土佐侯容堂の造船企畫について昌造が與かつた當時のことを、同藩家來寺田志齋が、その日記のうちで、かなりの捨言葉で誌してゐるのにもみることが出來る。しかし通詞は幕臣ではなく
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