はヤコビの電機モーターが發明されてゐる。翌十二歳の一八三五年にはモールスの電信機が完成してをり、同じ年にコルト式拳銃が發明されてゐる。さらに昌造十五歳の一八三八年、日本で長英、崋山が捕へられた年には、はじめて大西洋に黒煙をなびかせながら蒸汽船が、つまりこれより十五年後の嘉永六年、日本をおどろかした黒船が波を蹴立ててはしつたのである。

      二

 本木の家は和蘭通詞のうちでも、名村、志筑、石橋、吉雄、楢林らと並んで舊家である。三谷氏つくる家系圖に據れば、その祖を明智光秀の孫、林又右衞門に發してゐると謂はれ、又右衞門より三代庄太夫のとき本木姓を名乘り、松浦侯に仕へ肥前の平戸に住したとある。庄太夫より祐齋、つづいて同じ名の二代庄太夫がはじめて平戸より長崎に移住、通詞としての本木家元祖となつた。
 同家系圖では移住の年號が明らかでないが、洋學年表では「平戸人本木庄太夫――是年長崎に移住す、後寛文甲辰小通詞となり、又五年寛文戊申大通詞に陞る」とあつて、「是年」は萬治二年である。庄太夫は元祿十年七十歳で死んでゐるから、移住の年は三十六歳の壯年であつた。
 この時代の日本人はどういふ風にし
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