刷術の歴史に劃期的影響を與へた大鳥圭介もまたさうである。さらに島津齊彬の命をうけて木村嘉平が作つた活字の最初のが歐文であつたと謂はれ、その他私には作者未詳の「八王子の活字」や、江戸で作られた「オランダ單語篇」がまたさうだつたといふことなど、考へあはせると、洋學と近代活字とは切つても切れぬ關係があらう。
 本木昌造は和蘭通詞で、また洋學者だつた。彼が活字なり印刷術なりに關心をもちはじめたのは、前記洋學者たちのそれと軌を一にするものだらう。そこでまた私の考へは飛躍するのであるが、では長崎よりも江戸においてはより澤山の活字の研究者があり、學者があつたのに、何故それが江戸でなくて、長崎でより早く完成しただらうか? 歴史に從へば、活字はつひに長崎に誕生して大阪から江戸へと東漸していつてゐるのである。
 その理由を簡單にいへば、二つあると思ふ。その一つは當時の長崎は、唯一の海外文化の入口であつたこと。從つて明治二年米人技師ガンブルが上海から歸國の途次、長崎に寄港したとき、偶々電胎法による活字字母の製法を、本木昌造に傳授するチヤンスがあつたといふこと。つまり「地の利」といふのが、その一つである。
 
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