も何故に活字は江戸に生れず、長崎に生れたのだらうか※[#疑問符感嘆符、1−8−77]
 嘉平が元祖か、昌造が元祖か、そんなことは大きな問題ではない。江戸で生れず長崎で生れねばならなかつたその社會的事情、ああその事情、それこそ「本木昌造傳」に是非書かれねばならぬ要素の一つだと、私はいつか大塚驛前を通りすぎ、白木屋の前に出てしまつてから氣がついて引返しながら、さう考へてゐたのであつた。
[#改丁]

[#ページの左右中央]


        長崎と通詞


[#改丁]

      一

「――せめては板刻の業のみも半年にして終らせ玉へかし、小子の生命計り難きが故に、其功を急ぎ候事、胸に火を煽るが如くにて御座候――」
「海國兵談」の著者林子平は、同書の印刷に當つて、東北の片隅から江戸の有志にむかつて、火急の檄を發してゐる。
「――小子は遠鄙に在之候を板刻の諸用を調度仕候故、直に諸君に奉謁し奉告事不能候、因て東都の心友手塚市郎左衞門、柿沼寛二郎、森島二郎、工藤平助、藤田祐甫の五人に托し候て右御入銀の取次を相願候事に御座候、御入銀の御方方右五人の内催寄の者候はば即ち板刻の處に相屆申候――」

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